フィナンシャル・フェア・プレイはフェアじゃない

もはやそれどころではなくなってしまったが、コロナ以前、マンチェスター・シティUEFAから2年間の欧州コンペティション出場停止処分を受け、CASに提訴するという事件があった。その原因となったフィナンシャル・フェア・プレイ(FFP)のブレークイーブンルールへの違反について、FFPの成り立ちを踏まえて片野道郎氏がNewsPicksにコラムを寄稿している。

newspicks.com

 

さて、マンチェスター・シティのファンである私だが、今回の処分自体について異論を唱える気は全くないのである。この件が発覚した2018年末から書いているように、この件がUEFA側の主張する通りであれば、これはアウトだ。ルールが不当かどうかと、ルールを守らなくても良いかは別の話で、決められたルールを遵守しなかったのなら処分されるべきだ。その点については何も異論はない。むしろ、この件については我々ファンも謝られる対象であろう。

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ただし、滑稽だとは思う。例えばヴィッセル神戸は、親会社である楽天のスポーツ事業の一環として運営されているため、イニエスタダビド・ビジャを高額の年俸で雇って生まれるはずの損失はスポンサーフィーで埋め合わせる、という経営を行っていて、日本プロサッカーリーグの木村専務理事から「1つの理想の形」と評されている。「ヴィッセルが勝つことはJリーグの発展につながる」と評する人もいる。市場の大きさが違うとは言え、ある場所では「カネの力でルールをねじ曲げた」と蛇蝎のごとく非難される方式が、リーグ全体の希望と呼ばれているのはウケる。

headlines.yahoo.co.jp

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まあそれはただの感慨として置いておいて。真面目な話をすると、片野氏の議論はFFPについて牧歌的に過ぎると思われる。氏の連載第1回『UEFAはなぜ、利益にならない「マンC裁定」を決断したのか』は下記のように主張している(ちなみに、シティをCLから排除することはUEFAにとって大打撃だ、とのことだが、マンチェスター・ユナイテッドアーセナルチェルシーといった人気クラブが代わりにCL/ELに参加できるのに、UEFAにとってどの程度本当に痛いのかは疑わしい。ただでさえシティがCLを戦うときは客が入らないのだ。)。

  • FFPの目的はクラブの経営健全化と公正な競争環境の確保である
  • FFP導入前の欧州サッカークラブの財政状況はリスクが大きかった
  • オーナーの私財や銀行からの借り入れによる損失補填(赤字の穴埋め)は①赤字経営の原因であり、②「不健全かつアンフェア」であり、厳しく制限するべきである、とUEFAは考えていた

加えて、Twitterではあるが、下記もほぼ記事に含まれている主張として考えて良さそうだ。

  • FFPが持つメガクラブの既得権益保護という側面は結果的なものである 

 

 

「クラブの経営健全化と公正な競争環境」。はい。この主張にほとんど直接的に反論しているのが、『「ジャパン」はなぜ負けるのか  経済学が解明するサッカーの不条理』の著者であるステファン・シマンスキの2014年の論文、『Fair is Foul: A Critical Analysis of UEFA Financial Fair Play』である。趣旨を要約してみよう。

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「フィナンシャル・フェア・プレイ」という名前は極めてミスリーディングで、そもそも目指しているのは「フェア」ではなく「効率性」という方が正確である

    • FFPの導入時にUEFAが宣言した目的は以下の通り
    1. to improve the economic and financial capability of the clubs, increasing their transparency and credibility;
    2. to place the necessary importance on the protection of creditors and to ensure that clubs settle their liabilities with players, social/tax authorities and other clubs punctually;
    3. to introduce more discipline and rationality in club football finances;
    4. to encourage clubs to operate on the basis of their own revenues;
    5. to encourage responsible spending for the long-term benefit of football; and
    6. to protect the long-term viability and sustainability of European club football.”

じゃあその経済的効率性の観点から見て有効なルールなのかと。

 

効率性の観点から見て的確なルールではない

  • 確かに、2011年時点で欧州のトップディビジョンのクラブのか半数以上(63%)は営業赤字を計上していた。経済的効率性の観点から考えれば、欧州サッカーは供給過剰だった
  • FFPは、欧州全体で経営規模を縮小することで、過剰供給を是正しようとするものと解釈できる。移籍金額の減少は選手の給与を下げる圧力を与えるので、選手供給・クラブ供給の減少にもつながらない
  • 一方で選手の給料が下がれば、現状ですでに利益を生んでいるクラブは余剰分を強化に使える。つまり、売上が大きいクラブには有利に働く
  • さて、このバランス調整効果は効率性を特に高めたりはしない。オーナーたちは自分たちで望んでキャッシュを注入しているのであり、それが出来なくなれば別のオーナーが出てくるだけの話だ。サッカークラブは確かに多くが赤字だったが、にも関わらずそのせいで解散する羽目になったプロチームは殆どない
  • ぶっちゃけ、UEFAの会長だった頃のプラティニの発言からも伺い知れるように、FFPは最初からシュガーダディ(私財を投じる裕福な個人。例えば、チェルシーロマン・アブラモヴィッチや、シティのシェイク・マンスール)を狙いに来ているのだが、もしFFPが効率性を高めるためのルールだとすれば、シュガーダディを規制する理由はない。むしろ移籍金支払を通じて彼らの投資は業界全体に分配される。
  • シュガーダディによる投資は「サステナブルじゃない」という人もいる。本当にそうなのかは明確ではない。一つ言えるのは、サッカーに投資したいシュガーダディの数は増える一方だ。
  • 欧州サッカーに規制を持ち込むべきだと言うなら、この質問に答えなくてはならない:市場の失敗が明確に見えていないのに、なぜ規制を持ち込む必要があるのか?
  • むしろ、間違った規制は効率性を低下させ、サッカーに投じられる資源を欧州から他地域へ移してしまう要因になる。

 

かといって“フェア”でもない

    • 「自前の」売上以外に頼るのはフェアではない-とする。問題なのは、何が「自前」なのかを定義するのは難しいということだ。サッカーファンは、自分たちのクラブはスポーツ面に関する努力(だけ)を源泉として人気やブランドを築いてきたのであって、自分たちのクラブの収入は「きれいな金」だと思いたがる。実際には投資家に頼ったり、宝くじを売ったり、製造業を始めたり、サッカークラブは(サッカーに直接関係ない)ファイナンスの努力を様々繰り返してきた。本当に自分たちのリソースだけをもとに始まったクラブなどないのだ。
    • だが真の問題は、「公正さ」を追求する上で本丸であるはずの収入分配の仕組みが無視されていることだ。そっちの方がよっぽど効果的なのだが。

     

2つ議論があって、まず「フェア」と名乗るからには公正さを対象にすべきである(さもなくばミスリーディングである)という話。もう一つが、ここで言う「フェア」とは「自前」の、サッカー面だけに起因する売上の範囲内でお金を使うことを指しているのであって、「オーナーの私財や銀行からの借り入れによる損失補填」はアンフェアだ、という主張について、その定義は非常に恣意的かつ副作用が大きいですよねという指摘。

 

若干話は逸れるが、3月のFinancial Timesでのアンドレア・アニェッリの発言が思い出される。曰く、ローマのように過去CLで継続的に素晴らしい成績を残したクラブが、1シーズン成績が悪いだけでCLに参加できない状況はフェアなのか、これでは投資家を安定的に呼び込むことができないと。アニェッリくらい、顔に「偽善」と書いてあるような人間も珍しい。ラットレース的競争であるプロスポーツの中に、初期投資を著しく制限するルールがある方がよっぽど投資意欲を削ぐと思われるが。(まあ、シティのアル=ムバラクのように露悪的になるのもどうかと思うが)

 

競争を歪めることについての指摘はFFP導入当時から存在した。経済学者のヘニング・フェーペルは「過去の事例から見て、破綻も独占も、プロサッカー界において深刻な問題にはなっていない」「プロコン両面を勘案して、FFPは不完全かつ効果が不明確な上、モニタリングのコストが大きいため、適切な規制だとは判断し難い。」と指摘している。

https://core.ac.uk/download/pdf/6692916.pdf

 

Empirically, neither insolvency nor monopolization has been a serious problem in professional club football. There is no clear evidence that the competitive balance has been distorted more heavily as a result of recent developments in the European club football than in previous years.

 (中略)

Moreover, it would have to be proven that a single club’s disappearance from the market due to insolvency could have negative external effects or even exhibit systemic risks due to its high systemic importance or relevance for the European club football as could be assumed for clubs like FC Barcelona, Real Madrid or Manchester United.

 (中略)

According to the UEFA, Financial Fair Play is aimed at rebalancing competition and enhancing long-term financial stability in European club football. This is to be reached by a “break-even requirement” that limits a club’s deficit and restricts the influence of patrons and investors. Summing up all pros and cons, it can be concluded that Financial Fair Play does not seem to be an appropriate regulation because it is incomplete, of uncertain effectiveness and very costly to monitor compared to potential benefits.

 

 

また、ボッコーニのグループが行ったFFP導入後の効果に対する定量的な分析では、「損失削減(PL改善)には効果が現れている」が、そのことと「負債水準の低減(B/S改善)とCFの改善がついてきていない」との結論が提示されている。破綻の危機を回避するのが目的だったなら、そちらが本丸でなくてはならない。

papers.ssrn.com

 

 

結論

シマンスキとフェーペルの主張をまとめると以下のようになる。

  • FFPの目的はクラブの経営健全化と公正な競争環境の確保である→「公正な競争環境」は実質的には目的と言い難い
  • FFP導入前の欧州サッカークラブの財政状況はリスクが大きかった→赤字であることが直接的な破綻には繋がっていなかった。
  • オーナーの私財や銀行からの借り入れによる損失補填(赤字の穴埋め)は①赤字経営の原因であり、②「不健全かつアンフェア」であり、厳しく制限するべきである、とUEFAは考えていた→①は遠因の1つにはなるだろうが、オーナーに保証を求めるとかもっと効率的かつ反競争的でないやり方はあり得る。②もっと是正すべき公正さはある

 

以前書いたが、去年まで降格を現実的な可能性として捉えていたようなチームが、大富豪に買収されたからといって数年でタイトルが争えるようになるとムカつく、という心情はよくわかる(実際のところ、金だけで成功するのは難しいのだが)。

一方で、規制が存在しなかった時代に様々な手法で得られた先行者優位による格差をFFPが拡大・固定化する可能性は施行時から指摘されており、かつ現実になりつつある。それに対して、今更「結果的にはそういう側面もあるかも知れないが」というのは牧歌的にすぎるだろう。