マンチェスター・シティのファンでもよく分からないシティ関係者名鑑
景気いいですよね、ヴィッセル。職場も、友人も、まあイニエスタイニエスタ。シティも「シティが成功するか否かが、プレミアリーグがこの先やっていけるかの分水嶺」とか言われてみたいラジよね。やってることは似たようなもんなんだけど。
まあいい。ヴィッセルの話ではなかった。ところで、歴史がない、レジェンドがいないというのが、シティによく投げかけられる揶揄である。まあレジェンドはあんまりいないかもしれないが、シティに関係するおじさんたちは色々といるわけですよ。今日は皆さんに、そんなシティおじさんたちを紹介して回りたいわけだ。
かの名探偵、シャーロック・ホームズは言いました。
「僕は、人間の頭脳は、原理的に小さな空の屋根裏部屋のようなものだと見ている。そこに家具を選んで設置していかなければならないが、手当たり次第に、いろんながらくたを詰めこむのは、おろか者だ。最終的に、自分に役立つかもしれない知識が押し出される。(中略)脳の部屋が弾力性のある壁でできていて、ほんのわずかでも拡張できると考えるのは間違っている。知識を詰めこむたびに、知っていた何かを忘れるときが必ずやってくる。」
読み終わった時、さぞ皆さんの頭の屋根裏部屋はがらくたでいっぱいでしょうな。
ノエル・ギャラガー Noel GALLAGHER
ご存知元oasisのギタリスト。子供の頃からシティの大ファンで、暇だった十代の頃はホームもアウェーも全試合見に行っていたらしい。ジョニー・マーと並んでクラブから特別扱いされており、優勝セレモニーにも普通にいる。長らく弱い時代を見てきたからか、Twitterにいるファンよりも遥かに穏健派。
- 自分はサッカー上手かったのか:「クロード・マケレレが出てくるまで、MFと言えば『バーニッジのギャラガー兄弟』だったもんよ」
- ダビ・シルバについて:「うちの嫁と一発ヤラしてやってもいいくらい好き」
- グアルディオラについて:「ファッキン・メサイアだろ。あとサッカー界で一番オシャレだよな。誇りに思うね」
リアム・ギャラガー Liam GALLAGHER
oasisの弟の方。彼もシティファンではあるが、兄貴と比べるとまともなことを喋っている機会自体が少ないので、コメントも比較的少なめ。2014年に優勝したときは完全にラリったテンションで「ペレグリーニは最高だよ。おお。最高。へへ。養子になりてえ」と言っていた。
ジョニー・マー Johnny MARR
The Smithsのギタリスト。よくノエルと一緒に観戦している。
ギャリー・クック Garry COOK
2008年から2011年までシティのCEO。元はNikeで働いていた。タクシンに雇われ、マーク・ヒューズを監督に据え、マンスールが来て、という激動の時代を巧みに切り抜けたが、「海外で売っていきたいのに、スター選手がリチャード・ダンです、じゃあねえ」とか、現場がわかってないホワイトカラーっぽさもバリバリ出ていた。
タクシン・チナワット THAKSIN Shinawatra
タイの元首相。2006年に母国を追われ、翌年シティを買収してオーナーに。そこそこの金持ちで、そこそこに夢は見させてもらったが、タイの若手を3人一気にシティに突っ込んだり、買える“大物”もエラーノやペトロフが限界だったり、マンスールと比べると典型的なよくわかってないアジア人オーナーの域は出なかったというしかあるまい。まあ、あのシーズン楽しかったですけどね。現在も亡命中。
ティーラシン・デーンダー TEERASIL Dangda
サンフレッチェ広島で活躍中らしい、タイ代表の名選手。10代の頃、タクシンに連れられてシティに加入。記者会見での何がなんだか顔が懐かしい。オーナー交代で即放出されたが、本人曰く良い経験ではあったらしい。Wikipedia情報だが。
ケヴィン・キーガン Kevin KEEGAN
リヴァプールが欧州最強だった時代の主力ストライカーで、バロンドールも2回獲ってるスーパースター。監督としては、魅惑の攻めダルマサッカーと誰でも買いたがる欲しい欲しい病で知られた。
2001年にシティの監督に就任し、シーズン108得点の圧倒的な攻撃力で優勝。チームをプレミア昇格に導いたが、フロントと揉めたとか何とかで辞めた。シティに限らず、どこ行っても良いサッカーはするが、フロントと揉めて途中で投げ出すちょっと困った人でもあった。ベンチではおばさんのようにはしゃぐ。
ロベルト・マンチーニ Roberto MANCINI
元イタリア代表FW。通称マンチョ。インテルでリーグを3連覇したのち、アラブ人に買われて金が入ったシティに請われて監督就任。シティでは堅い守備とシルバ任せの攻撃で44年ぶりのプレミア制覇を達成。カッコつけ癖があり、「自転車で通勤する爽やかな俺」を演出するために途中まで車で来てからわざわざ自転車に乗り換えていたという噂がある。
優勝した翌シーズン、2位に終わったことであっけなくクビに。マリノスのあれやこれやでシティが「非情な成金」と叩かれていたことがあったが、個人的にはシティほど契約にぬるいクラブもそうなくて、こんなにあっさりクビを切ったのはマンチョくらいではなかろうか。まあ確かに監督には多少厳しいときもあったかもしれないが、選手には甘い。ぬるぬる。最後の方は選手から総スカンだったらしいが、優勝したので今でもシティファンからの人気は高い。
デイヴィッド・ジェイムズ David JAMES
身体能力任せのテキトーなゴールキーピングを武器に、プロ通算826試合に出場した元イングランド代表。2004年から3シーズン在籍。実は30代後半になると身体能力が落ち着いてきて結構良いGKになっていたのだが、それを成し遂げたシティの話は今やほとんどしてくれない。まあ残留争いばっかりだったし、その後ポーツマスでタイトルも獲ったしな。
父親はジャマイカでギャラリーを経営しているという、イングランドのサッカー選手には珍しい中産階級出身。本人も、人間離れした美しい骨格でちょくちょくアルマーニのモデルをやっていた。2014年に破産。
リチャード・ダン Richard DUNNE
「もし各クラブがそれぞれのレジェンドを監督にしたら?マンUはギグス、チェルシーはランパード、アーセナルはアンリ、リヴァプールはジェラード、シティは・・・・リチャード・ダンwwww」というTwitterでたまに流れるジョークがあるが、その人。2000年から約10年に渡ってシティのDFラインを支えた元アイルランド代表のCB。
全盛期には、スペースさえなければロナウドだろうが何だろうがバシバシ止めており、前述の本格的なレジェンドとは比べるべくもないが、シティにとっては2000年代最高のCBであり、不可欠の存在であった。一方で見た目がいかにも鈍くさいというか、農民Aみたいな趣で、その辺も不利だった気がする。OGと退場の退場のプレミアリーグ記録も持ってるし。引退後は解説者に転身。
ソン・チーハイ SUN Jihai(孙继海)
日本語だと孫継海。2000年代前半の弱かった中国が生んだ、数少ない国際的サッカー選手。攻撃に長けた右SBで、ショーン・ライト=フィリップスと組んだ右サイドの破壊力は中堅クラブとしては相当にありがたいものであった。後年はレギュラーから外れるが、求めに応じて左サイドバックやアンカーもこなした。
引退後はBeijing Haiqiu Technologyという「スポーツ・ソーシャルメディア・プラットフォーム」なるものを設立。イギリスのフェンウェイ・ゲームズというスタートアップと組んで、SnapPlayというデータ分析やベッティングができる携帯アプリをリリースしている。らしい。あのテンセントからも出資を受けているとか。ホワイトカラー顔だよなとは、選手のときから思っていた。
マイカ・リチャーズ Micah RICHARDS
oasisの隠れた名曲、「Where did it all go wrong」を聴きながら思い出を振り返りたい、アカデミー育ちの右SB兼CB。デビュー後、あっという間にイングランド代表にも選ばれ、18歳にしてロッベンと渡り合った逸材。2007/08シーズンはダンとCBでコンビを組んで序盤だけ大活躍。リーグの月間MVPにも選ばれていた。
その後は右サイドバックに再コンバートされ、一時期はサバレタを抑えてレギュラーも張っていた。しかし2012年頃からみるみる筋肉が肥大し始め、比例するように怪我も増加。ほぼ常にリハビリしている選手になってしまった。再起をかけたアストン・ヴィラでは、レスコットとの元シティCBコンビで無事名門ヴィラを降格させ、その後の2年間で試合出場はわずか3回。もはや職業も定かではない状態である。
人格としては底抜けに明るく、すんごいバカ。
ディートマー・ハマン Dietmar HAMANN
リヴァプールでCLを制したドイツ人の名ボランチ。日韓W杯にもレギュラーで出ていたので覚えている人も多いかもしれない。すっかりジジイになってからシティに来たが、熟練のコスいファールで中盤の守備を安定させた。実はボルトンに行くはずだったのだが、シャツ持って撮影までしてからシティに乗り換えたらしい。この故事はプレミアリーグファンに「移籍は試合に出るまで眉唾」ということわざとなって深く刻まれている。
基本的にはリヴァプールOBとしてのコメントが多いが、たまに喋ったと思ったら「スターリングが移籍するのも仕方ないっしょ」とか、「カリウスへの同情も限度があるっしょ」とか、空気を読まない直球ばかり投げてくる。
ナイジェル・デ・ヨング Nigel DE JONG
人呼んでビッグ・ナイジェ。マンチーニ政権下のシティで、ヤヤ・トゥレ、ギャレス・バリーとともに中盤を支配していたギャングスタ。汚れ仕事は全部やる。彼を手放したのが、マンチーニの運の尽きだったかもしれない。
マルク=ヴィヴィアン・フォエ Marc-Vivien FOÉ
不屈のライオンことカメルーン代表の主力だった長身のボランチ。シティでも中盤からの攻め上がりで得点をそこそこ量産し、チームに欠かせない主力だった。が、2003年夏のコンフェデ杯準決勝の試合中、心臓発作に倒れ夭折。ライオンは死なず、ただ眠るのみである。
ショーン・ライト=フィリップス Shaun WRIGHT-PHILLIPS
アーセナルの名選手、イアン・ライトの息子。と言っても再婚相手の連れ子なので血はつながっていないが。天性のバネとスプリント力で、2000年代初頭のシティにおいてほぼ唯一の「イングランド代表がガチで狙える」選手として人気があった。2004/05シーズンの活躍でチェルシーに引き抜かれたが、実はモウリーニョが欲しがったわけではなかったらしく、見事に干されていた。実はドリブル自体は大して上手ではなく、長いスルーパスときれいなミドルの選手だったと思うので、誰か真ん中で使ってほしかったところ。ロビーニョ曰く、すこぶるいい人らしい。
アリ・ベナルビア Ali BENARBIA
マーレズ以前にもいた、シティのアルジェリア人。元フランスリーグMVP。シティに来たのは32歳にもなってからだったが、熟練のテクニックでファンからの人気はすこぶる高かった。プレミアに昇格した2002/03シーズンはベルコヴィッチ、フォエ、バートンと組んだ魅力の中盤で残留に貢献。しかしプレミアのスピードはもはや老体にはきつかったということで、「ワタシ引退シマース・・・ホントアリガート・・・」という感動のお別れを発表。その数日後にカタールのクラブに行って盛大にずっこけた記憶がある。
エヤル・ベルコヴィッチ Eyal BERKOVIC
イスラエルの鬼才。中盤前目をフラフラと回遊しつつ、少ないタッチでボールを捌き、急所にスルーパスを放つ、という、2010年代ではもう少なくなってしまった古典的パサーだった。今ではシルバとデ・ブライネがシティの2枚看板だが、ベルコヴィッチとベナルビアの中盤もそれはそれは美麗なものだったのじゃよ。
シティが昇格した2002/03シーズンはクラブのファンマガジンでMVPに選出されるも、翌シーズンに監督のキーガンと揉めて退団。実はまんゆのファンらしい。
ゲオルギ・キンクラーゼ Georgi KINKLADZE
未だにプレミアファンのブログなどではたまに回顧される、グルジアが生んだ変態ドリブル男。メッシのようなドリブルで3,4人片付けてくれるが、それ以外には全く興味がなく、スーパーゴールを決める代わりにチームがハチャメチャになるという歩く爆弾。私が見たときはもうシティを出てダービー・カウンティでプレーしていたが、確かにドリブルだけは最高に巧かった。
元oasisのノエルは彼の大ファンなのだが、ノエル曰く「あいつの最初の試合を見て思ったね。こりゃ俺たち、CLで優勝するか、4部に落ちるかどっちかだなって」という選手だった。まあ後者だったわけだが。
降格後も、なんとバルサのオファーを断ってシティでプレーした結果、チームは3部にまで落ちたため、泣く泣くアヤックスに移籍。未だカルトヒーローとしてファンの寵愛を受けている。
トレヴァー・シンクレア Trevor SINCLAIR
元イングランド代表のウィング。2000年代前半から中盤に在籍。現役時代は数年に一回世界一すごいアクロバットなゴールを決める選手だった。代表にはあまり縁がなかったが、日韓W杯では棚ぼたでレギュラーを獲って活躍。全盛期がシティではなかった割には、引退後はシティOB枠で結構コメントを出している。多分、「あっ、若手のシティOB枠空いてる!!」と気づいたのではないか。けだし慧眼であった。
スティーヴン・アイルランド Stephen IRELAND
2000年代中盤の数少ない希望だったリトル・ブッダ。本当に、最高だったんですよこの人は。中盤を彷徨いながら少ないタッチで決定機を作るプレースタイルで、より行動範囲が広いベルコヴィッチという風情の攻撃的MF。前線への飛び出しも巧く、シティがアブダビ化した最初のシーズンは合計13得点の大活躍でクラブMVPに選出されていた。リチャーズとともに新シティの旗頭となることを期待されていたが、翌シーズン就任したマンチーニにはさっぱり評価されず、シティを退団。その後はコンディションが整わず、すっかり終わった人となってしまった。
アイルランド代表でも期待の若手だったが、「婆ちゃんが危篤なので」という理由で2007年の代表戦直前に離脱。「実は死んでない」「いや、母方の婆さんだ」「何年も前に亡くなっとる」と大騒ぎになった後、彼女が流産したので抜け出した、ということが判明。最初からそう言っておけば良かったのではないかという気もするが、その後はトラパットーニにも信用されず、こっちの方でも少々不幸なキャリアを送っている。
アダム・ジョンソン Adam JOHNSON
ニューカッスル、ミドルズブラ、 サンダーランドと北東部の大手クラブを全て経験した左利きのウィンガー。2010年から2012年に在籍。私はこの人のことを本当の天才だと思っておったわけですよ。ドリブル自体にそんなに破壊力があるわけじゃないんだけど、とにかくパスにしてもシュートにしても、ボールの通し方は天下一品だった。が、生活態度が改まらずサンダーランドに放出された後、未成年への淫行で有罪判決。現在収監中。サッカー選手ですらなくなってしまった。
ポール・ディコフ Paul DICKOV
シティが3部まで落ちていた90年代後半のカルトヒーロー。 「シティがクソ弱かったときお前らはどこにいたんだよwww」(=強くなってからファンになったんだろニワカ)という相手ファンからのお決まりの野次に対して、「俺プレーしてたwww」という必殺の返しギャグを持つ男。
1998/99シーズンの2部昇格プレーオフ、ロスタイム5分に起死回生の同点ゴールを決めてシティを救出。後にアグエロが優勝決定ゴールを決めたことで若干印象が薄れた気配もあるが、それ以前には「シティの歴代最重要ゴール」はそれだったという。ちょこまかした鬱陶しいプレースタイルで、相手ファンから「ペスト」と呼ばれるという絶大な人気を誇った。
ショーン・ゴータ― Shaun GOATER
元バミューダ諸島代表。こちらも同じく90年代後半にカルト的な人気を誇ったストライカー。泥臭さしかないプレーでキャリア通算200点越えの偉人。シティが最後にプレミアに昇格した2002/03シーズン、マンチェスター・ダービーで2点を叩き込んで男を上げた。
ニコラ・アネルカ Nicolas ANELKA
プレミアに昇格して意気上がっていたシティと、レアル・マドリー、PSGで失敗してキャリア立て直しを図っていたアネルカの利害が一致し、2002年に加入。さすがワールドクラスというテクニックと興味なさそうな態度で、残留争いをするチームながら2年でリーグ戦30得点獲った功労者。2004年にキーガンと揉めたため、あっけなくトルコへ旅立った。そのあと流石にあちこち行き過ぎて、もはやシティのOB感は皆無に等しいが、アネルカなくして今の成功はなかったかもしれない。
クレイグ・ベラミー Craig BELLAMY
快足で知られた元ウェールズ代表。見た目通りの半グレ男。力は確かだったが、どこに行ってもしょうもない喧嘩と犯罪ばっかり起こすので、ノリッジ、コヴェントリー、ニューカッスル、セルティック、ブラックバーン、リヴァプール、ウェストハム、シティと放浪を続けていた。その割にはシエラレオネの内戦に心を痛めてチャリティとかやるんだよな。結構なことではあるが、もっと心配すべきことがあった気もする。チームメートの頭をゴルフクラブで叩かないとか。
シティに来たのは30台だったが、左ウィングとして新境地を開拓。意外とセットピースも巧く、アブダビ初期のシティを支えた1人と言えよう。
引退後、あんまりシティ絡みのコメントは出さないが、たまに独自の情報網で変わった話を持ってくる。