2016/17 マンチェスター・シティの振り返り, part2:ほぼ私信編
アトさんの「ペップと"常識"の狭間で ~16/17ペップ・シティの1年」に対するアンサー。
就任当初について
ちなみにペップが一年目のプレミア&シティで華々しい/圧倒的な成功を収めるイメージは最初から持っていなかったんですけど、それでも何か"隠し玉"があるのではないかもっと"奥"があるのではないかという期待は途中までは持っていて、それははっきり言えば、裏切られましたね。・・・むしろ「選手起用」編で言ったように、独特な単純さ、場合によっては"浅さ"が、ペップの(天才の)大きな特徴であったわけで。チーム作りにおいても。
ただその後は・・・特に無いというか、その時点で"マンネリ"を気にさせないくらいの圧倒的な強さがあればいいなという祈るような気持ちと、言ったってなんか色々とあるんでしょ?ペップという、やがて裏切られることになる(笑)幻想的期待があったのみというか。
とにかくそういう意味での"幻想"は、持っていないかと言えば、持っていました(笑)。ある時期までは。
グアルディオラ就任決定の報を聞いたときの最初の反応は下記だったんですが、まあ正直、「もろたでこれは」という気持ちは、ありましたよね。泣く子も黙るグアルディオラだもん。何だかんだ、勝つだろうと。正直なところ、今でもちょっとある。ただ、大分説得力を持ってきたなというか、根拠のない感覚では無くなってはきたというところ。
さあ残りのシーズンに集中しよ!こっから佳境でんがな!!
— szake (@szakekovci) 2016年2月1日
期待しすぎると人生いいことないって
— szake (@szakekovci) 2016年2月1日
余談ですけど、就任当時のシティファン界隈、リアル知り合いにはいないのでTwitterで、私がフォローしている人とそのRTに限定した話なのでサンプル数10程度の話ですが、まあとにかく界隈の反応として男性は歓迎、女性は懐疑的、という傾向が強かったように思います。前者は強いシティ、革新的なシティが見られるぞという反応で、後者は「なぜペップがシティかわからない(納得できない)」という反応が多かった。一般化するのはどうかとも思うけど、興味の違いってありますよね。こういうフォーメーションで、こういう選手を買って・・・というのは、オタク的なサッカーファンの男性なら大体一度はしたことあると思いますけど、私が知る範囲では、そういうものに興味を示す女性ファンというのは、あんまりいない。
実際始まってみると「好奇心」と「消化プロセス」の"脳を開く"効果はペップ自身の想定をも恐らく越えたものがあって、大した内容でも大したメンバーでも(笑)ない中で、あれよあれよキャッキャウフフと、開幕から公式戦10連勝なんぞを達成してしまいました。シティ自体に自惚れることはほぼ無かったですが、プレミアやっぱ大したことないかなと思うところは無くは無くて、ひょっとしてこのままイケるかもと、思った時期が僕にもありました(笑)。キャッキャ。ウフフ。
何だったんでしょうね、あれは。実際守備面は目に見えて改善されていたけど、攻撃はそんなにうまいこと行っていなくて、対応され始めると途端に、最初は仕事ができていたかに見えたクリシやサニャたちにも粗が目立ち始めて。単純に「相手が慣れてなかった」んだと結論づけています。
戦術とか施策とかについて
実際ペップの一つ一つの施策に"納得"していたわけではあまりなくて、色々やっていたけどぶっちゃけどれも特には"ハマ"っていなかったように思うんですよね。・・・シルバとデブライネの二枚をインサイドに並べる形くらいかな?僕がクリアなものを感じたのは。例の開幕当初の連勝を支えた。ただその後ペップがその形に、特別な注意を払っていた気配は無い。
どうでしょうね。アンカー落としとか、3-2ビルドアップとか、基本文法的な動きを除けば、シルバ&デ・ブライネのインサイド起用、SB陣のファルソ化、、ジーニョのアンカーと左右のサイドバック、フェルナンドの右バック、4-4-2ダイヤ、とかそんな辺りでしょうか。確かに、どれも大した効果を産んでない。ジーニョのアンカーはよくやったとは思いますが、消去法ではありましたしね。
ただ、ポジショナルプレイの実践(攻守両面で効くような配置を取るためのプレーの反復)とか、その基礎としての速いパス回しを行う技術とか、そういうものは確実に向上していて、目に見えやすい”施策”よりはそちらを遂行させることの方にペップの手腕は現れていたんじゃないかと思います。わかり易い例で言えば、オタメンディが組み立てで安易に右SBに押し付けなくなったり、GKのほとんど真横という意味の薄い場所でボールを受けなくなったりとか。そうした点については、私は結構納得していました。
まあバイエルン時代の本を読むと、「ファルソラテラル」(所謂“アラバロール”)は、割と大発見的なノリで発明しているんですけどね。
『ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう』p187-188
アスティアルタはこの朝のことを、後に目を細めながらこう語った。「ペップとともに過ごし、感動したトップ10の瞬間の1つだったんだ。忘れられないよ。」
グアルディオラは、誰もがひと目で分かるほど高揚していた。(中略)「ここからが新しい戦術的な変化だ。ラフィーニャとアラバを、サイドバックだけれども中盤に置く。(中略)たとえボールを失っても、全員がセンター近くの高い位置に居るので、ボールの奪還は容易だ。」
そして今後も、”施策”というよりは、原理原則と、それを支える技術(止める蹴るだけでなく、位置取りや判断を含めたもの)の方に、主な変化が現れてくるんじゃないかと思います。我々日本人の素人には、わかりづらいですけどね。幾何学的な配置には興味あるけど、「フォーメーション」には興味ないみたいな笑。日本のサッカーファンには読取りづらい違い。
パーソナリティ、選手の扱いについて
開幕直後に下記のようなツイートをしました。
グアルディオラ嫌いな人って結構いるのね〜っていう最近の発見があって、まあ人それぞれですからねって思うんだけど、「贔屓するから嫌い、メッシとか」というのを見て、メッシに贔屓もクソもあんのかと思ってちょっと笑っちゃった
— szake (@szakekovci) 2016年8月28日
これは「ペップが嫌われているなんて」と言いたいわけじゃなくて、「嫌うほどのキャラクター、ある?」という意味ですね。ペップの人間性、興味あります?機械みたいじゃない?失礼な言い方ですけど。
思い起こすと、シティが弱くてCLに出られなかった頃はチェルシーも好きだったので、ちょうどペップ・バルサ初期はチェルシーとの因縁の決戦をほぼ毎年観戦していたわけですが、その頃は所謂「劇団バルサ」に結構腹を立てていたわけですよ。ピーピーうるせえな、みたいな。アンチフットボール論争を一部で呼んだ2008/09の試合(イニエスタがロスタイムに決めたやつ)にしても、再三のハンドを見逃した審判や、調子に乗って適当なことを言うチャビ大僧正に反感を感じないでもなかったのですが、グアルディオラについてはとくに意識もしていなかった記憶があります。というか、ほとんど何かを喋っていた記憶すら無い。
そういう意味で、彼を嫌っている人については、よくあんなに人間味がない人間を嫌いになれるなあという気持ちにはなる。ヴェンゲルとか、コンテとか、モウリーニョとか、他の監督と比べても本当に人間味はない。悪い意味ではないんだが、本人にはとても言えない。
で、アンリ、ヤヤ、アグエロに見る、選手の扱い。
これについては昨今はすっかり、「代理人が余計なことを言ったからペップがへそを曲げた問題」として説明されるのが通例となりましたが、元はと言えばそもそもヤヤ・トゥレ自身のプレイスタイルなりコンディションなりの理由から、ペップが積極的に使おうとする素振りを見せなかった、それに対する代理人の牽制ないし寝技(笑)があの「ウチのヤヤ使わないで負けたら、それはベンチがアホやからということになるよね?どうですか皆さん!」(意訳)という発言であったわけで、結果的に言うとむしろ"代理人"が悪役として全ての問題を引き付けることによって、ヤヤ自身はチームに入り易くなった、バルサ時代からしっくり行ってなかったらしいペップに頭を下げ易くなった、そういう面が大いにあるような気がします。そこまで計算していたのなら代理人優秀過ぎますが、さすがに違うだろうと思いますが。(笑)
これは言われて気づきましたけど、本当にそうなんですね。本来は純粋にクオリティの問題だった(確証はできませんが、少なくともCLメンバーから漏れるまでは、代理人もとくに何も言ってなかった)はずの問題を、「謝るか謝らないか」にもっていったというのは凄い。
端的に言って、それが嬉しかったか、今年のヤヤ・トゥレを見ていて楽しかったかというと、うーんという感じ。
手前味噌になりますが、例えレギュラーでなくても"スポット"起用で輝いたり、変則起用でもFWで新味を出したりしてくれた方が、サッカー的な"意義"はあったような気が、未だにしています。
・・・いや、だってどこかの国のJリーガーじゃあるまいし(おい)、別に1ペップに嫌われようが首切られようが、ヤヤ・トゥレは生活に困窮するわけでも前途が閉ざされるわけでもないわけじゃないですか。さっさと別のクラブに行ってまた王様やるか、少なくとも"ヤヤ・トゥレ"として扱ってくれるチームでプレーした方が、見てる方も幸せなはずですよね。そうするだろうと、みんなも思ってたろうし。
こういうアンリやヤヤ・トゥレに向けられたペップの"収拾"力、悪く言えば「陳腐化」力みたいなものは同様にアグエロにも向けられていて、こちらは今のところは、前二人とは違うキャリアピークのアグエロの元気さもあって、そんなにつまらないことにはなっていない。"進化"と言えないことはないというか。
でもそれでも結構、ギリギリのラインだと思います。これ以上、アグエロの「特別」を「一般」の方に寄せて行ったらもたない、特にジェズスとの2トップ構想というのは、出来ないことはないだろうけれど、来季へ向けての"希望"よりは遥かに"不安"ないしは"不満"要素だと思いますね。はっきり言って、別に「見たく」ないし。(笑)
「陳腐化」するのは確かでしょうね。本当に「ニュアンス」に興味なさそうだから。一方で、それがつまんないかと言われると、個人的にはそうは思わないかな。デ・ブライネのようにインサイドMFに配置換えされて、ほとんど怪物になっている例もあるし。
思うに、この「ニュアンス」、あるいは「ストーリー性」に近いんじゃないかと思いますが、基本的には選手のエゴと、見る側の(悪く言えば)妄想なんではないかと。ヤヤで言えば、俺はアンカーじゃない、もっと試合全体に影響を及ぼしたいし、何なら試合も決めてしまいたい。そのために走るべきときと走らざるべきときは自分でちゃんと計算していて、走らざるべきと思ったときは走らなくても全然悪いことをしたとは思っていないと。加えて、シティが強くなった立役者は誰をおいても、まずはシルバ、コンパニ、そして俺だろう、みたいな。前述のように後半はこちらの妄想ですが、そういうストーリーを背負っていて、その文脈の中でもう一花咲かせると盛り上がるというのは確かだと思いますが、まあちょっとそこら辺は期待できない監督でしょうね。
個人的な感覚の話に戻ると、SNSの隆盛で試合がなくとも30分置きに何某かのチームニュースに触れられて、練習風景の公開なんかも進んでいて、余計に「ニュアンス」を持たせやすい環境になっていますけど、それに食傷気味、というところもある。こういう話(下記)もありましたしね。
「情熱は衰えた」ある有名作家の告白。高齢化、中毒化するプレミアリーグ。 https://t.co/9YLFytwMEW #numberweb #海外サッカー via @numberweb
— szake (@szakekovci) 2017年2月13日
" 以前も贔屓のチームが負けたらもちろん落ち込んだ。でも1日24時間サッカーのことを考えているわけではなかったし、1週間をまるまるサッカーに費やしてもいなかった。ウィークデーには別の関心事があった。その間に休息をとって、フレッシュな状態で次の試合を迎えられた。"
— szake (@szakekovci) 2017年2月13日
私たちはフットボール経済学に基づいたホモ・フトボロミクスではないからね。時に衝動的に「あーーーもうやだ、こんなクソクラブ応援してられるか!!!!」とか叫びたくなる時もあれば、自分の怒りを鎮めるためにrationalな批判を欲する時もある。でも、SNSだと立ち位置を要求されるのよ。
— Jüki Ohto Puro (@mateinappa) 2017年2月14日
試合に負ければ家族や地元のパブの顔なじみと一頻り愚痴を言い合って、それでおしまい、また来週というのがインターネット普及前のスポーツファンの生態だったのかもしれないが、今じゃBBSとかSNSで四六時中誰が悪い、試合はあーだこーだと分析が行われているからな。食傷気味で疲れるのは確か。
— Jüki Ohto Puro (@mateinappa) 2017年2月14日
で、今後。
来季は・・・どうなるんでしょう。あんまり変わらない気もするんですけど、それでもまた何か、驚きはあるのか。
いや、まあ、その前に勝ちますか(笑)。とりあえずどっちか下さい、発明か、勝利か。
ひとまず後者の方でなんとかするという感じの今シーズン序盤ですが、末永いお付き合いを頂きたいもんです。