ジョー・ハートに関する個人的なメモ
ジョー・ハートはシティを去るらしい。
開幕からハートは起用されず、カバジェロがスタメンを張った。クラウディオ・ブラボは既にバルセロナのチームメイトに別れを告げ、マンチェスターで学校と家を探しているという。グアルディオラはシンプルに、その瞬間の戦力として、ベストな選考をしたと言った。幸せでないなら、移籍してもよい。残りたければ、残ってもよい。
私はハートが好きだし、出来ることなら残って欲しい。個人的に年も近いし、ハートがシティに来た頃も覚えている。ジョーが来てからの10年間(厳密には、彼がまともにシティでプレーし始めてからの9年間)、シティはずっと上り調子でやって来た。タクシン・チナワットが来て、投資が為され、夢を見た。タクシンに逮捕状が出て、はるかに金持ちの王子たちが来た。カカーの噂、引きつった笑顔のロビーニョ、トッテナム戦の敗北、ストークに勝ったFAカップ、「あぐえろおおおおおおおおおおお」、ベン・ワトソン、クビになったマンチョ、This Charming man、バッティングセンター、苦笑するメッシ。ハートがいた10年間は楽しいことばかりだった。シティは、全く新しいチームになり、その中心にいつもハートはいた。しかし、10年後の今、どうやらお別れのときが来たようだ。
ハートがシティのトップチームに本格的にデビューしたのは、2007年の秋だった。シティに加入したのはその前年の夏だったが、1年間はほとんどローンで過ごしていた。何を思ってシュルーズベリーからシティに来たのかは定かではない。もしかしたら、正GKだったジェイムズは既に30台半ばだったし、控えもパッとしなかったから、チャンスが大きいと踏んだのかもしれない。
ともかく2007/08シーズン、シティはタクシンの投資を得て、エラーノ、ペトロフ、ジオヴァンニといったスター選手を迎え、生え抜きの若手選手がレギュラーに定着し、素晴らしいスタートを切った。前の年のシティは最低最悪のクソだったから、ことさら希望が持てた。最初の数試合はカスパー・シュマイケルがレギュラーだったが、何試合かしたあと(たしか、アーセナルとまんゆとの試合のあとだった。ニューカッスル戦だったと思う。)ハートがスタメンを任されるようになった。それ以来、1年半だけのギヴンと、わずかな期間のパンティリモンを除いて、シティのGKは常にハートのものだった。
控え降格の話に戻る。
これは個人的な推測だが、グアルディオラはDistributionだけを理由に、ハートを入れ替えようと決意したのではないと思う。2年前、「選手名鑑」と題してブログを書いたとき、私は彼の項目に「パワーと勇気だけが友達」と冗談めかして書いた。その次の年は、「止めるしか能が無いタイプ」と書いた。彼の名誉のために言えば、ハートはそれまでのイングランドのぼんくらGKたちーロブ・グリーンとか、ポール・ロビンソンとか、クリス・カークランドとか、スコット・カーソンとかーとは違っていた。シティがそれまでに雇ったGK、ニッキー・ウィーヴァーとか、ゲールト・デヴリーガーとか、アンドレアス・イサクソンとか、その辺とも違った。そんなレベルのGKではなかった。
一方で、ハートはブッフォンでもないし、ノイアーでもなかった。ファンデルサールでもなかった。8割の名守護神と、2割の英国的間抜け野郎。ロビンソンとブッフォンの永遠の合いの子。それがハートだった。正直に言えば、この話が出て以来、ハートを「Distribution以外は世界で五指に入る」とまで評価する人間の多さに驚いた。クロスへの対応はショットストップには含めないとか、そういうことなのだろうか。
実のところ、ジョーを本気で他の誰かに入れ替えようと決心したのはペップが初めてではない。マーク・ヒューズはシェイ・ギヴンを連れてきたし、マンチョはクビにさえならなければ、アスミル・ベゴヴィッチを獲りに行きたがっていた。ジョーはその都度、努力と幸運によってレギュラーの座を守ってきたが、グアルディオラには不十分だったようだ。
ただし、何もクラブ全体がハートを不要と看做しているわけではない。オーナーやチェアマンは、ハートが大好きだ。多分。チェアマンのムバラクは昨シーズンの締めのインタビューで、名指しでハートを称えた。彼らは願わくばバルサやレアルのような天下のビッグクラブにシティを育てたいと思っているから、所謂バンディエラが欲しいと思っている。きっと。ガーディアンのイアン・ハーバートが書いたように、「シティほど選手に甘いクラブは滅多にない」。だからこれは純粋にピッチ上の成績を追求する上でペップが下した判断で、かつペップに相当の権力が与えられていることの証左でもある。
前に言ったように、ハートが去るのはさびしい。さびしいが、それはシティの応援を止める理由にはならないし、同情もしない。ハートは偉大な選手で、もしかしたら“アブダビ以降”のシティの象徴の一人だったかもしれないが、私にとっての、シティのアイデンティティではない。ていうか、アイデンティティって何だ。ハートの前にもシティはあったし、ハートの後にもシティはある。そういうことだ。私の中では。
私が少し気にかけているのは、シティがサッカー界のベイビーフェイスを、”オイルマネーの寵児“というイメージからの脱却を目指す上で(いや、笑いたくなるのはわかるが、もう少し我慢頂きたい)、このことがマイナスに働き過ぎないかということだった。功労者を切り捨てる、節操の無いクラブ。これだから成金は。みたいな。そういう話。
確かにそういう言い方もできるだろう。しかし結局のところ、どれほどの功績があり、そしてシティに歴史と伝統とやらが無かったとしても、ピッチ内の起用を歪ませるほどの温情をかけられるに値する選手など、いるべきではないのだ。功労者への決まり文句、”リスペクトを示せ”というのは、要するに、こういうことではないか。ピッチ上の成績を最大化するミッションを負って雇われた監督がいて、彼は自らがよりベターと信じるサッカーのために、よりベターと信じる選手を獲りたがっている。そしてその選択肢は、望めば手に入る。その状況において、ベターではないと評価する選手を、ピッチ外の事象―ファンの人気とか、ロッカールームでの発言力とか―のために、使うことを余儀なくされる。つまり妥協せよと迫る。
あるいは例えば1年間、半年間様子を見てみようと。それだけの貢献をしたはずだと。それもまた同じことだ。過去の貢献は、ベターではないと信じる選択肢をとることに勝る価値なのか。私にはそれは承服し難い。リスペクトを示すというのなら、恐らくそれはあくまでピッチ上のみの基準でもってサブ降格を告げ、そのあとは本人の希望に任せることだ。(だから今一部で報道されているように、クラブがローンを嫌がって、少しでも高く売りつけようとしているのが本当なら、それには反対する)
もちろんこれは属人的な問題で、例えばポール・ハートがやってきて、「私のサッカーには合わないから、ハートは使わない」と言ったらどうだろうか。ロイ・ホジソンでもいい。「一昨日きやがれこのハゲ」と私は思う。ペップほどの実績を持つ監督だから、納得しうる。
8月の31日以降、ハートがどこで過ごすのかはわからない。エバートンかもしれないし、遠くアンダルシアかもしれない。もしかしたらシティに残るのかもしれないが、それは恐らくベンチかスタンドなのだろう。ハートが正GKであったならどんなに良いことだろう。仮にペップの元でCL制覇を果たせたとして、そのチームのゴールマウスにいるのがハートだったら、どんなに嬉しいだろう。しかし、残念なことだが、私にはどうしようもない。
さらばだジョー、愛してるぜ。願わくば、シティを嫌いにならないでくれ。
Hart, Milner & Wright Meet Baseball Legend Bautista