石油王の憂鬱

 マンチェスター・シティが苦しんでいる。2017年夏のダニ・アウベス、2018年1月のアレクシス・サンチェス、フレッヂに続き、2018年夏の移籍市場では、口頭合意に達したジョルジーニョを取り逃した。いずれのケースも、相対的には信憑性が高い複数のメディアが“合意した”と報道した後に、より高い移籍金と給与を提示した他クラブによって掻っ攫われるという失態である。

https://media.gettyimages.com/photos/chelsea-unveil-new-signing-jorginho-with-chelsea-head-coach-maurizio-picture-id998491530

 なぜ失態か。ダニ・アウベスはダニーロという代役が見つかったし、サンチェスは高い移籍金と給料の割にさして成功だったという評価を受けているとは言い難い。結果オーライなのではないか。

 否。まずもって、種々の報道に鑑みて彼らは本気で獲得を目指したターゲットであることにはほぼ疑いの余地がなく、相当の費用と時間が投じられているだ。泣こうが喚こうが、彼らの獲得に失敗した以上、それらはサンクコスト。今後何かの役に立つわけでもない、ただ溝に捨てた時間と金である。また、ダニーロはあくまで結果オーライでしかない。2012年夏の「誰がハビガル連れてこい言うた!ハビマルやハビマル!!」事件は有名であるが、1つのターゲットを追う際にプロフィールや提供価値がよく似た選手を代役候補としてリストアップしておくことが当たり前だとしても、急遽代役に切り替えるのはリスクが高い選択肢と言わざるを得まい。次もダニーロであるとは限らないのである。いや、まあ、ハビガルは良かったんですけどね。

https://media.gettyimages.com/photos/manager-roberto-mancini-of-manchester-city-and-vincent-kompany-look-picture-id168559196

 

 より深刻な問題は、マンチェスター・シティの移籍市場における路線変更が、失敗に終わりそうな気配を見せていることだ。そもそも、サンチェス、フレッヂ、ジョルジーニョは、いずれも「ほぼ決まった」「週末には決まる」「ここ10年で最大の決まり方」とか言われながら、細かい条件を詰めている最中、という報道が散発的に流れつつ何時になっても決まらず、電撃的に(より高い条件を提示した)他クラブへの移籍が決定する、という同じパターンをなぞっている。早い話が、シティが金を出し渋っているのだ。これは由々しき事態である。

 アブダビ化が起きた夏、2008年からずっと、シティのプライシング戦略は「多少のプレミアムを載せても強気でドン」であった。まず2010年までは、シティは (順位表上の問題として) 強いチームではなかった。また、少なくとも2,30年の範囲について言えば、クラブとしての格もなかった。更に、マンチェスターは、相対的に言って、そう魅力的な街ではない。私だって勤務先を選べと言われたらバルセロナか、せめてロンドンに住みたい。だからこそシティは、ウェイン・ブリッジに£12mとか、アデバヨールに£26mとか、コロ・トゥレに£17mとか、そういった法外な移籍金を積んできたわけだし、結果として給与総額がクラブの総収入を超えるような予算編成を、一時的にとは言え、許容してきたのである。

 

 もちろん、シティはまともなビジネスマンが経営しているので、これが許容され続けることはなかった。昔のブログから引用するが、シティの財務状況は毎年飛躍的に改善していった。

 

ここまでの足取りを振り返ると、まずステップ1:戦力補強。2008/09シーズンにロビーニョ(£30.1m)を筆頭に£110.2mの補強を行ったのを皮切りに、2009/10シーズンは£103.1m、2010/11シーズンは£127.7mをつぎ込んだ。当然、実績もブランドも無いシティに有力選手を呼ぶために必要なのは給与だ。売上拡大が給与の増加に追いつかないため、EBITDA(ここでは売上+その他収入-給与およびその他営業費用。すなわち、サッカークラブとして純粋な収支に近い)の段階で赤字の状態に陥るが、成績は改善した。

 

ステップ2:“まとも”なサッカークラブへ。成績の改善に伴う放映権料の拡大とスポンサー獲得で売上を増やすとともに、給与水準を落ち着かせ、スカッド編成の効率性を高める。売上に占める給与の比率は徐々に低下し、2014年には59.2%に達した。これはチェルシーよりも低い。また、ジョーアデバヨール、ブリッジのようにすぐ戦力外になってしまうような高額な買い物が少なくなったため、減損も発生しなくなった。すなわち、獲得すべき選手の査定、獲得交渉、給与設定がより上手になったということだ。これでようやく、2013年にEBITDAがプラスになった。

 

ステップ3:黒字化。これにはあと一歩。2014年はアブダビ化以来初めて給与総額が低下し、売上の拡大と相まって、営業黒字まであと£-17.7m(FFP制裁を除けば£-1.4m)まで到達した。あとは、オーナー頼みのキャッシュフローの改善だ。

d.hatena.ne.jp


  “改善”というのは、もちろんオーナーの直接的資金提供によってではない(というか、それは改善ではない)。一方、移籍市場については、まんゆと並び、少なくとも国内ではトップ水準の額を投じ続けてきたが、それも2017年の夏から方針を変えたようだ。サンチェスらについての、ギリギリまで妥協点を探り、少しでも低い移籍金額に抑えようとする姿勢は、これまで載せていた諸々のプレミアムを落として勝負しようという意志を感じさせるものである。

 

 全く妥当な判断ではある。3年前にブログに書いたが、

ここまで、今回の移籍による費用増が、恐らく多数の人が想像するよりも小さいということを見た。ただし、当然ながら£141.5M(アドオンを含めると£152M)の移籍金は決して小さい額では無い。

Transfer Leagueのデータに従えば、シティが支払った移籍金としては2010/11シーズンの£154.8Mに次ぐ大きさである。この移籍金は今後5年から6年、契約が延長されれば10年近くに渡って減価償却費としてシティのP/Lに計上され続けるので、当然ながら毎年このような移籍を続けていくことは出来ない。

d.hatena.ne.jp

 のだ。

 

 他にも理由はある。まず、グアルディオラ就任後にスカッドの大手術を行った結果、給料が爆発的に増えた。2016-17シーズン決算のWages and salariesは前期の1.3倍。1人当り給与も1.3倍であるから、単純に人を抱えすぎているという問題でもない。しかもこれは、ウォーカー、メンディ、ベルナルド、エデルソンといった選手たちを含めていないのだ。

 また、2019-20シーズン以降のプレミアリーグの放映権料は、少なくとも英国内では実質的な値下がりとなった。Amazon等のWeb系メディアの参入を理由とした楽観視もあるが、これらがシティの首脳陣にプライシング戦略の再考を迫った可能性は充分ある。選手1人にプレミアムを積めば、残りの10人も間違いなく積まれる。ウォーカーに£45mを払った瞬間「 (メンディも) ウォカにゃんの額でヤってよwww」とか言い出したモナコのようなケースは、今後も間違いなく繰り返される。そうした状況から脱却し、移籍金額の抑制を図ったシティの首脳陣の判断は至極まともではあった。問題は、全くうまく行っていないということだが。

www.theguardian.com

(もう一つ、FTの記事を挟みたかったんだが、登録が必要なので割愛。Subscribe to read | Financial Times をご参照ください) 

 

 で、結果としてはこれである。

 引用するBANQUEBLEU氏のツイートに賛同するばかりだが、結局ピャニッチに1億払うなら、ジョルジーニョに£65m払ったほうが何ぼかマシだったのは、言うまで無い。仮にこの後ピャニッチがシティにやってきて、大活躍したとしてもだ。戦略ぶち壊しである。「適正価格」とやらに拘っても自己満足以外に何も得られないことは、アーセナルが10年もの月日をかけて証明してきたが、シティは今、同じ穴に落ちそうなところで踏みとどまっている状態だ。

 

 そしてこの後には何が起こるか。短期的には、当初の方針を貫くか(つまり、誰も手に入れられず、自前の若手に頼らざるを得なくなる。ジョルジーニョピャニッチの騒ぎを見た後に、プレミアムを載せてやろうと思わない経営者が居るとは考えがたい)、「ハビガル違うわいハビマルじゃ」事件のようにお茶を濁すか、開き直って昨季と同じように大量の移籍金を投じるか。そうするにしても、既に市場の閉幕まで1ヶ月を切り、トレーニングキャンプも始まっているのだが。

 

 長期的には、戦略を貫ききれないか、結果を承知の上で”適正価格“にこだわり、競争力を一定程度失うかのどちらかだろうと思っている。そしてCFGの経営陣は、おそらく前者を選ぶほどには盲目ではない。現状でも損失を生むリスクを抱えている(2016-17シーズンのシティは営業赤字で、かつシティは多額の偶発債務を抱えている。早い話、成績連動ボーナスが大きいということで、それを勘案すれば2017-18シーズンも営業赤字の可能性は十分にある)上に、市場縮小の兆しが見られる状況である。CFAの建設に、フランスや南米、アジアでのクラブ買収といった長期的なコミットを続けているCFGが、更に将来への借金を増やす可能性は低いだろう。

 

 つまり我々は、このあと数年、「怒りの撤退」の茶番を見せられなければならない可能性があるというわけだ。振り返ればアーセナル、人を笑わばイヘ穴チョである。