2017/18 マンチェスター・シティ 中間レビュー個人編(前編)

GK

1 クラウディオ・ブラボ Claudio BRAVO 

君は一人じゃない。一人じゃないぞ。どこかのクラブのモットーのようだが、まあこのモットーも一人のものじゃないのだ。昨シーズン、ゴール前の自動ドアとしてありとあらゆる批判に晒されていたチリ代表の守護神が、リーグカップで復活。スーパーセーブ連発で下部のチームに負けるという恥を回避し、PK戦で3発止めてヒーローに。エデルソンに替えて使っても安心かと言われると未だに不安ではあるが、少なくとも「近年のシティで最悪の買い物GK部門」、文句なしの1位では無くなったように思われる。イサクソンとかさ。

つい最近のリーグカップ・レスター戦でまたもやPKを止めてヒーローに。ただし、グアルディオラとの折り合いがあまり宜しくないらしいということも判明。たしかに、後ろから抱きつかれたときビタイチ笑ってなかったもんな。

まあ子供の教育とか何とかでイングランドを離れる気はないらしいので、これからも頑張って頂きたい。

 

31 エデルソン・モライス EDERSON Moraes ブラジル代表

ある朝、マンチェスター・シティが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな金持ちに変わってしまっているのに気がついた。

ということがたった1年で2回もあったクラブを応援していると、こういうことが起きる。すなわち、クラブで何年も活躍してきた選手がいて、ちょっとしたバンディエラである。ベストイレブンになった選手もいれば、クラブ最優秀選手賞を5年連続で取ったやつも居る。あるいは、アカデミー育ちかも知れない。そして、プレミアリーグ全体を見回しても、彼は結構良い選手だ。決してベストではないが、そう悪くないのだ。そんな愛すべき選手が、新しくやってきた何処の馬の骨とも知らない男にポジションを奪われ、放出される。いやいや待てと。ちょっと待てと。替えるべきところはあるのではないかと。

だが替わりに来た選手の確実なクオリティを見ると、やはりプロは素人が及ばない見識を持っているものだと気付かされるのだ。レスコットもそうだったし、ダビド・シルバもそうだった。そしてエデルソンもそうである。すごすぎ。守備範囲広すぎ。組み立て上手すぎ。最高かお前は。ハイプレスの回避策は、背の高い選手を入れるだけではない。どうするかって?60m先まで正確に蹴っ飛ばせるGKがいればいいのさ!うわーすごいや!明日はホームランだね!!再現性ゼロ!!!

https://media.gettyimages.com/photos/city-goalkeeper-ederson-moraes-reacts-during-the-premier-league-match-picture-id884934288

 

32 ダニエル・グリムショウ Daniel GRIMSHAW*

4番手の若手GK。殆どないが、エデルソンが帯同しないときは遠征メンバーに入る。集合写真であれ?これ誰だっけ?と思ったらグリムショウ。

https://media.gettyimages.com/photos/image-was-altered-with-digital-filters-manchester-citys-daniel-prior-picture-id855089772

 

49 アリヤネト”アロ”・ムリッチ Arijanet “Aro” MURIC*

いつもトップチームで練習はしているが、試合では出番のない第3GK。髪はつやつや。

https://media.gettyimages.com/photos/tottenham-hotspur-forward-vincent-janssen-runs-for-the-ball-against-picture-id824347486

 

 

DF

4 ヴァンサン・コンパニ Vincent KOMPANY

「故障離脱を繰り返してきた負のサイクルにピリオドが打てそうだ。」とは、おなじみヨーロッパサッカー・トゥデイ開幕号の言。打てませんでしたね。巨人にいた頃の広澤くらい打てませんでした。あっという間に戦線離脱。勘弁してくれよという気持ちになるが、本人はもっと思っているだろう。

プレーの存在感は減ったが、依然としてチームのモラルとしてはいないと困る。このランディングは中々ハードになりそうである。ストーンズも結構ちゃらんぽらんなんだよな。突撃野郎サメチームでのポジションは”King Shark”。かっこいい。

https://media.gettyimages.com/photos/david-silva-of-manchester-city-celebrates-with-vincent-kompany-after-picture-id884834612

 

5 ジョン・ストーンズ John STONES***

ドリブルで仕掛けられるとやや弱い事以外、ほぼ文句なし。あらゆる面で信じられないくらい成長しているCBの要。強いて言えばロングフィードを入れてくれるともっと効果的な気もするが、あれだけやらないのはよっぽど自信がないか、指示なのかもしれない。ハムストリングを傷めて離脱中。

https://media.gettyimages.com/photos/john-stones-of-manchester-city-congratulats-ederson-of-manchester-picture-id862479028

 

15 エリアキム・マンガラ Eliaquim MANGALA

第4のCBと言いつつ、コンパニのコンディション不安とストーンズの怪我で最近出番が増えている巨人。きちんと距離と角度を取るポジショニング、右足を使えるようになったことで読まれづらくなったパス出しと、ビルドアップには進歩が伺える。

一方でガタイの割には空中戦できれいに勝てることはほとんどなく、スピードも言うほどないので未だ不安は拭い難いが、じゃあ3,000万出してエヴァンズかイニゴ・マルティネスに入れ替えるほどかと言われると、まあどっちでもいいんじゃないかな。

https://media.gettyimages.com/photos/eliaquim-mangala-of-manchester-city-during-the-carabao-cup-match-picture-id895818918

 

24 トーシン・アダラバイヨ Tosin ADARABIOYO*

リーグカップで1試合出場。リーグカップは決勝まで放送が無いので、分からんのよね。まあ落ち着いてはいたらしい。デビューしたときからそればっかり言われている。

 

30 ニコラス・オタメンディ Nicolás OTAMENDI

サメ将軍ことGeneral Shark。相手がひたすら自陣に退く機会が多いため、シティのCBは必然的にドライブと楔、サイドチェンジを担当する機会が増える。その結果、ビルドアップが気持ち悪いほど巧くなり、アーセナル戦ではほとんどピルロ状態。最近では「DFラインを比較的高めに保つ+中盤ラインをDFに限りなく近づける」ことでスペースを限りなくパッキングしてしまおうとする相手も増えており、これでDFの裏が取れないと一気に苦しくなってしまうのだが、裏にふんわり落とすロバーまで習得したオタメンディがいれば安心。

きっと選ばれはしないだろうが、時代が違えばベストイレブンでもおかしくないと思う。DF陣随一の得点力で、セットプレーでは頼りになる。

https://media.gettyimages.com/photos/nicolas-otamendi-of-manchester-city-celebrates-scoring-the-2nd-city-picture-id889499372

 

2 カイル・ウォーカー Kyle WALKER***

今年の新戦力でレギュラーに定着しているのはエデルソンとウォーカーの2人だけなのだが、純然たる属人的な変化は余りにも大きかった。足速すぎ。裏取られても間に合いすぎ。そこそこの身長とマッチョな身体で3バックの右としてもプレーでき、かつボールロスト時には中盤に出ての潰しが間に合うという点で、今年の可変フォーメーションにもぴったり。右足から繰り出す圧倒的クソクロスも可愛いものだ。

https://media.gettyimages.com/photos/23rd-december-2017-etihad-stadium-manchester-england-epl-premier-picture-id897606794

 

3 ダニーロ DANILO

開幕時はウォーカーの怪我で右ウィングバックに、メンディ離脱後の最初の試合では左バックに起用されたが、前者ではウォーカーに勝つほどの機能性はなく、後者では左足でボール扱えないので幅が取れない、ということですっかりベンチが定位置に。中央からのパス出しはそれなりにできそうだったので、今のデルフの役割ならこなせないこともないとは思うが。守備のバイプレーヤーという唯一のポジションなだけに、冬越えの奮闘に期待したい。良い人そうではある。

https://media.gettyimages.com/photos/oleksandar-zinchenko-tosin-adarabioyo-yaya-toure-danilo-brahim-diaz-picture-id860593560

 

22 バンジャマン・メンディ Benjamin MENDY

90年代のJリーグにいたら絶対コロコロで「やったぜ!メンディくん!!」が始まっていたに違いないFunky Shark。

  • しつこく「Shark Team」「俺たちサメチーム」とつぶやき続け、ついに公式グッズ化。公式Twitterにも採用。
  • 「メンディは半年離脱」と呟いたジャーナリストに「いや俺も検査してねーのに分かる訳無いだろ」とTwitterで直接突っ込む
  • 「監督は手薄な左サイドバックに補強を考えています」と呟いた公式アカウントに「俺がデルフに教えるから大丈夫っすよwwww」と絡む
  • 毎試合Twitterで実況する
  • 「うわー一般人が興奮して入ってきちゃった」と思ったらメンディ
  • デ・ブライネの試合後インタビューに乱入してキス

www.youtube.com

と、挙げているとキリがない。そろそろ周囲も引いているような気がしなくもないが、チームの雰囲気を変えたという点では来てくれてよかったと言えよう。脅威のクロス性能を見せていたが、怪我で4月まで離脱。

https://media.gettyimages.com/photos/benjamin-mendy-of-manchester-city-walks-out-prior-to-the-premier-picture-id839445654

 

 

MF

8 イルカイ・ギュンドアン İlkay GÜNDOĞAN

ゴール前への進出、ポジショニング、タイミングはデ・ブライネやシルバより上だと思われるが、それ以外のプレーで今この2人に勝つのは相当難しく、完全に控え。とはいえ、開幕後まで長引いた怪我の影響か、ここまでのプレー自体もやや低調。これ以上依存しないために、奮闘が求められるところ・・・と思っていたら、スパーズ戦ではシルバ不在を問題なく埋める活躍で、頼もしい限り。

https://media.gettyimages.com/photos/ilkay-gundogan-of-manchester-city-celebrates-after-scoring-his-sides-picture-id893878496

 

18 フェイビアン・デルフ Fabian DELPH***

英語だと普通に、「フェイビアン」でしたね。よく考えたら、「フェビアン協会」だって「Fabian」なのだった。

トーク移籍寸前まで行っていた戦力外男が、メンディが離脱した左SBでブレイク。もともとのキープ力、左足のサイドチェンジ、縦パスに加えて、守備では多少怪しいとは言え、ポジショニングも改善。すっかりアラバ・ロールのSBとして定着し、何ならメンディよりも良いんじゃないかという声すらある。ドリブル対応も意外と強く、マフレズを普通に抑えていたのには驚かされた。お前そんなのできたのかよ。

弱みは空中戦やクロス対応、とくに目線を一度切られると裏がお留守になること甚だしく、この先狙い目になることが予想される。あと、やってることが特殊なので、多分代表でSBに使ったら大して活躍できないと思う。

 

25 フェルナンジーニョ FERNANDINHO

もともと、ジーニョは何をやらせても上手い選手ではあった。カバーリングもまあまあ速いし、目も良い。ドリブルで相手を交わすことも出来なくはないし、パスを捌くこともまあ不得意ではない。ボール奪取は言わずもがなである。ドリブルには弱いけど。

しかし我々は今、優れた監督が如何に30歳を超えた選手の技量を上達させることができるかという実例を目の当たりにしている。まあほんとあらゆる面が上手いのだ。ドリブル、というかドライブは効果的だし、1vs1は負けないし、空中戦は競り勝つし。さほど機会は多くないが、浮き球のパスもバシバシ勘所に通すようになってしまった。まさに「グアルディオラがついてるぜ」である(そういうチャントがある)。

昨日なんか、相手GKがロングボールを蹴る、相手のFWの背後にくっついて落下を待つ、相手に身体を預けてヘディングを空振らせ、自分は右足のアウトサイドでボールを前に落とす、自分は反転して相手の逆側から入れ替わる、という新技を披露。それは何カンプなんだ。

CFGが目指す世界支配(3/3) Guardianの記事訳

下の記事の翻訳 その3

www.theguardian.com

 

ペップ・グアルディオラの登用は、常にソリアーノの壮大な構想の中にあった。実現には時間と忍耐がかかったが。(中略)グアルディオラは一度は「来年行く」と言ったが、次の年には「すまない、バイエルンに行くよ」と言ってきたので、ソリアーノは「OK。じゃあ3年後だな」と返した。こうした忍耐は、儲けを焦らず、そしてファンがすぐ結果を求める移り変わりの激しいこのスポーツにおいて、根比べに勝つ方法を知っているオーナーがいなければできない。

グアルディオラの最優先タスクは、最低1シーズン当たり1つのタイトルを獲得し、ソリアーノが定義する「ナンバーワン」クラブの定義を満たすことである。「毎シーズン勝てという意味じゃなく、5シーズンあったら5つのタイトルを獲ってくれ、ということだ。つまり、4月の段階でプレミアリーグ有償の可能性を残し、CLで準決勝に進んでいるということだね」とソリアーノは説明する。シティが後者を達成できたのは一度しかない。グアルディオラが来る前の2015/16シーズンだ。しかし、先の目標は4年に1回CLを勝つ、ということをほのめかしている。

しかし、果てしなく続く試合とプレスカンファレンスから離れ、グアルディオラの隠された仕事は、究極的にはタイトルよりもっと価値ある何かを作り上げる手助けだ。つまり、全てのCFGクラブと選手たちの、はっきりそれと分かる、魅力的なスタイルのフットボールである。もう一度言おう。そのモデルはバルサから来ている。ジュニアチームの全員が同じ区ライフ式のサッカーを学んでいるために、シームレスにトップチームに移行できるクラブだ。CFGのモデルでは、数多の国にまたがるクラブとアカデミーは、同じもの―自動的にペップ式のサッカーをプレイする方法を学び、グループ内のチームを出入りできる明確な供給線―を作り上げる。ソリアーノによれば、これによって「よりシームレスに選手が(クラブ間を)移動できる」ようになり、そして最良の選手はマンチェスター・シティに行き着く。

これは聞こえよりも難しいかもしれない。(中略)今年の8月、NYCFCの試合を見たが、どちらかと言うとちぐはぐな、イングランドやスペインの2部か3部のようなサッカーだった。その数日前、NYCFCの監督であるパトリック・ヴィエラを見かけた。ヴィエラはシティの「エリート・ディベロップメント」U23チームの監督から、NYにやってきた。マンチェスターでキャリアを終えたアーセナルの元キャプテンに、NYCFC―MLSサラリーキャップ制の下、プレミアリーグの平均以下の給与総額のチームはいつも「シティのサッカー」をしているのかと尋ねると、彼はそうでないと認めた。「選手が違うから、NYでマンチェスターと同じサッカーはできないよ。我々が共有しているのは、我々が『美しいサッカー』と呼ぶフィロソフィだ。攻撃的で、ポゼッションを握ろうとし、チャンスを作り出し、特典し、魅力的なサッカーをプレイしようとするものだよ。レベルは違っても、フィロソフィは同じだ。」”

 

  

CFGが成長し、その影響が世界中で感じられるようになったことで、ライバルたちはその規模を恐れるようになり、CFGの周りを鷹の如くうろつくようになった。ラ・リーガの代表、歯に衣着せぬ弁護士であるハビエル・テバスはこの夏、シティからジローナに貸し出された5人の選手について、移籍の詳細が偽られているとして、自らのテリトリーに現れたCFGの翼を切り落としに出た。ジローナはこの5人の選手の会計的価値を積み増さねばならず、スペインの予算上限の仕組み上、選手の給与に使える費用の4%削減を余儀なくされた。(中略)

9月に行われたサッカーレックスのサッカービジネスカンファレンスで、テバスはまたもやシティに狙いを定めた。アブダビの公営企業からのスポンサーシップという名の国家資金によって、UEFAの規則を回避しているというのだ(彼はパリ・サンジェルマンカタール人たちにも、「プールで小便している」と同じような文句を言っている)。テバスの考えるところでは、移籍金や選手の給与高騰を引き起こしているのは、ファンの需要ではなく、湾岸諸国の資金と、「マンチェスター・シティと奴らの石油」を含む、いわゆる「国家クラブ」だという。シティは否定のみに留まらず、テバスを訴えると反撃した。UEFAは、シティの財政を調べろというテバスの要求を無視した。しかし、レアル・マドリーバルサが支配するリーグのトップからの口撃は、この2つのクラブ―非営利のファンクラブ会員が実権を持つ組織構造がゆえに、CFGのやり方でグローバル展開することができない―が感じている危機の現れである。

しかし、CFGがその力を持って規則の限界を広げてしまおうとしている、というテバスの訴えに効果がないわけではない。2014年、前年にFFPに違反したとして、シティに2,000万ユーロの罰金を課した。一方、オーストラリアのAリーグは、CFGが移籍金に関するリーグの罰則を回避した翌年、新たなルールを導入している。CFGが取った策略は、ある評論家からは「茶番」と評された。経緯はこうだ。マンチェスター・シティはアンソニーカセレスという地元の選手を獲得した―オーストラリアの他クラブより高い値を付けたのだが、そのままメルボルン・シティに貸し出したのだ。リーグは初年度の練習禁止で応えた。

こんな世界的な野心を可能にするほど大きな財布を持ったオーナーシップは、更なる問題を引き起こしうる。一つには、アブダビのイメージを守りたいという欲望が、CFGの前に立ちはだかっているからだ。サディヤット島の美術館のような、建設現場で働く移民労働者の権利を侵害しているとして人権団体から糾弾されているようなアブダビの野心的なプロジェクトがある中では特に。今年のはじめ、ワシントンのUAE大使館からのEメールがリークされた。その中には、NYCFCのスタジアムをクイーンズに建てるという計画について、CFGの重役が心配しているというメモがあった。このスタジアム建設に関して、ゲイの人権、女性、格差、イスラエル等に関する態度を対象として、アブダビの関与を批判する声が上がるのではないかという懸念からだ。もともと市民から反対の声が上がっていたプロジェクトだったが、NYCFCは未だに自前のスタジアムを持てていない。

https://media.gettyimages.com/photos/javier-tebas-la-liga-president-talks-during-day-3-of-the-soccerex-picture-id843226948

  

 

 

サッカー界のエコノミクスには根本的なパラドックスがある。グローバルのサッカー市場は年率10%以上で伸びているのに、利益を大きく伸ばしたクラブは数少なく、ましてやオーナーに配当を支払ったクラブなど尚更なのだ。偉大なるプレミアリーグのクラブですら、この5年間で3回は(合計で)税前損失を計上している。しかし、クラブの企業価値は上昇している。例えば、マンスールは前のオーナー、逃亡の身であるかつてのタイ首相、タクシン・シナワトラがたった15ヶ月前に払ったよりも、推計で約2倍の金額を払ってシティを買収しているのだ。

ソリアーノは言う。スポーツ・フランチャイズ(球団所有)は、常に稼いだ利益を再投資しなければならないような熾烈な競争に晒されているのだと。つまり、オーナーが本当にキャシュを得られるのは、彼らがクラブを売ったときだけだ。売らないオーナーたちは、サッカークラブを超リッチなコレクターのための「希少品」だと思っている。億万長者は列をなし、選ばれたもののみが加入できる“有名なクラブを持っている”という地位に加わりたがっているのだ。これは驚くほど保ちの良い資産でもある。労働者たちが飲酒と喧嘩から離れられるようにと、教区牧師の娘アンナ・コネルによって1880年に創設されたマンチェスター・シティは、創設から2世紀目を迎えた数あるクラブの1つだ。「1917年にNY株式市場に上場していた企業のうち、今も残っている企業はいくつある?」とソリアーノは問う。

究極的には、価値は才能と感動が合わさることで生まれる。つまり選手と、それを愛するファンだ。これがソリアーノのいう「愛」であり、CFGがオーナーの望むように多国籍企業として成功したいと思うのなら、金に変えて見せなければならないものなのだ。もしグアルディオラがシティのために泣く日が来るとすれば、それはチャンピオンズリーグを再び制したときだけだろう。ソリアーノは今季、それを期待している。そのとき、イングランドで最も歴史あるクラブの一つであるシティのファンは、喜んで愛に身を任せるだろう。そして、更に多くの新たなファンがそれに続く。

しかし、CFGの多国籍企業モデルについて、この「愛」が本当にどの程度価値あるものなのか、我々は冷静な目で見ざるを得ない。CFGはコカ・コーラや、ディスニー、グーグルのような価値を持つことがあるのか?そのためには、マンチェスター・シティはもっともっと試合に勝ち、タイトルを取らなければならない―そしてそうなれば、このモデルが成功を収めたときには、他にもサッカー多国籍企業が現れ、揃って世界中で愛を金に変えていくだろう。もちろん、世知辛いビジネスの世界において、CFGの強大な世界展開の真の、金銭的な価値を知る方法は一つしか無い。マンスール―それか、他の誰かに代替わりしているかもしれないが―この企業体を売り、市場が審判を下す。そして、この「愛」に値段をつけるのだ。

 

CFGが目指す世界支配(2/3) Guardianの記事訳

下の記事の翻訳 その2

www.theguardian.com

 

この3月に初めてエティハド・キャンパスを訪問したとき、受付デスクの後ろの壁にはシティ、NYCFCに加えてもう2つのクラブの紋章が掲げられていた。メルボルン・シティと、CFGが少数株主である日本の横浜F・マリノスだ。もともとメルボルン・ハートという名だった前者は、2009年に創設されたばかりだが、シティが経営権を獲得し、名称を変え、クラブカラーをスカイブルーにしたわずか2年後の昨シーズン、クラブ初の主要タイトルを獲得した。創設当時のCEOだったスコット・マンは「スタートアップのテックファームを立ち上げて、アップルに買収されたようなものだよ」と語る。このアナロジーに則れば、イースト・マンチェスターはサッカーのシリコンバレーになるだろう。

2ヶ月後に再訪したとき、シティはまたしてもクラブを買収していた。今度はウルグアイアトレティコ・トルケ。2007年に創設され、2012年にプロになったばかりの2部リーグのクラブだ。5月に行われたCFGの年次スタッフミーティングでは、トルケの代表はこんなスライドでプレゼンを始めた。南米全体を書いた地図の上で、デカい矢印がウルグアイを指しているのだ。「トルケのことは誰も知りません。どこにあるかも」と代表は半分冗談で認めた(場所だけで言えば、首都のモンテビデオにある)。「この部屋の中にいる人数は、トルケの試合の観客数とほぼ一緒ですし」。しかし、目標は大きい。ルイス・スアレスエディンソン・カバーニのようなワールドクラスを排出してきたこの国において、トルケを1部に昇格させ、4位以内でフィニッシュし、大陸選手権に出ることだ。不思議なことに、トルケは「遍く南米中から選手と契約し、登録する」という目標も掲げている。これは、ウルグアイが1人あたりの金額で見れば世界最高のプロサッカー選手輸出国だという統計的な分析に基づいている。驚くべきことに、その学は1年当り2,500万ポンドにも達する。数多くの小さなクラブが、目先の金欲しさにしばしば10代の選手を安価で叩き売っていることを含めてもそうなのだ。ソリアーノは「驚異的だよ。我々は巨大だし、彼らを持ち続けて、さらに価値を高めて行きたいと思っている」と語る。

次にソリアーノに会ったのは7月。彼はまたもや新たなディールを纏めたばかりだった。350万ユーロで、シティはスペイン1部リーグのクラブ、ジローナの株式44%を購入した。これは今までよりも遥かに大物だった。昨年価格に合意した段階では、ジローナはまだ2部にいたが、マンチェスター・シティからレンタルされた選手の助けもあって、約1年後にはレアル・マドリーを倒すまでになった。CFGからの資金とノウハウの注入は、トルケには(ジローナより)さらに劇的な効果を与えた。買収からわずか半年で、2部リーグで優勝したのだ。つまり、1部昇格である。

 

 

 

ソリアーノは、サッカーはいずれ、世界中のほぼ全ての国で最も人気のスポーツになると考えている。アメリカやインドも含めてだ。では、CFGはどこまで行くのか?「我々はオープンだ。アフリカではガーナのアカデミーと関係を構築しているし、南アフリカでも機会を探している。」CFGはカラカスのアトレティコベネズエラと強い関係を築いている。ソリアーノは、マレーシアとベトナムにも言及した。上限は、1つの大陸に2つか3つのクラブだろう。だが、次の大きな買収はCFGが「積極的に買収の機会を探している」と公言している中国になると思われる。

2015年10月、中国のサッカー大好き国家主席である習近平が、シティのエティハド・スタジアムを訪問した。その2ヶ月後、中国の投資家グループが、CFG株式の13%を4億ドルで買収した。全体の評価額は30億ドルに達するが、これはマンスールがCFGにつぎ込んできた額の合計よりも、恐らく30%程度は大きい。シティのCEOに就任して以来、ソリアーノは中国サッカーの劇的かつ混沌とした進化に注目してきた。当初、ソリアーノは混乱と腐敗の噂、そして価格の高騰に辟易としていたが、今は「市場は合理的になり、リーグも組織されてきた」と考えている。

習近平は10年以内に、中国に5万か所の特別なサッカースクールと、14万のグラウンドを作りたいと考えている。一つの理由は、勉強漬けの子どもたちをより健康にするためだ。数百万の子どもたちにサッカーを教えるという機会を、ソリアーノは「もしかしたらマンチェスター・シティのビジネスよりも大きな事業になりうる」と見ている。CFGが興味を持っているのはクラブ運営だけではなく、サッカーに関するあらゆるセクターだということを思い出させる事実だ。CFGは最近アメリカにおいて、都市部でファイブ・ア・サイド*1を運営するジョイント・ベンチャーを立ち上げ、1,600万ポンドを投入している。

www.tribalfootball.com

 

複数のクラブを保有するオーナーは、CFG以外にもある。徐々に統合を試みているクラブもあるが、大半はただ投資のポートフォリオに過ぎない。CFGの特殊性は、意識的に生み出された単一のコーポレートカルチャーを世界中に展開している(同じスカイブルーのシャツを着る場合もある)、唯一のオーナーだという点にある。スペインのデロイトでスポーツ部門のパートナーを務めるフェルナンド・ポンスは、これをコンサルタントが言う所謂「グローカライゼーション」―グローバルなプロダクトを手掛けるが、ローカルなマーケットに適合もするというコンセプト―の典型例と評価している。例えば、「ジローナやNYCFCのファンは、ほぼ確実にシティファンにもなるでしょう」。また、マンチェスターのエティハド・スタジアムで見られる日産やSAP、ウィックスの広告は、メルボルンやNYでも掲示される。アメリカやオーストラリアの選手たちは、オフシーズンには世界最先端のトレーニング施設を体験することが出来る。

だが、ソリアーノの関心を最も引きつけるのは、選手のプールの広さと、彼らがプレイできるクラブの選択肢の多さだ。現時点ですでに、CFGは世界の誰よりも多くのプロサッカー選手と契約しており、今後もその数は増えていく一方だろう。すなわち、「エンタテインメント」とクラブ運営がグループの第一の事業であるとすれば、第二の事業は「選手のデベロップメント(育成・開発)」だ。着想のもとは、バルサの名高いユースアカデミーであり、世界中でコピーされているマシアだ。マシアは1人あたり約2百万ユーロ程度の費用で、メッシ、チャビ、イニエスタプジョル、そしてグアルディオラのような伝説的選手を生み出してきた。今日の価格でこの5人を買おうと思えば、合計で10億ユーロ近くはするだろう。我々はバルサのモデルをグローバルに展開している、とソリアーノは語る。

 

CFGの計画の根拠となるロジックは、私とソリアーノが7月に会ったまさにその週、さらに明確になった。PSGを所有するカタールのオーナーたちが、ネイマールのために1億9,800万ポンドを支払うことに同意したのだ。移籍金記録はほぼ毎年破られるようになった。ソリアーノは今や、インフレはこの業界における必然と見ている―そしてそれは、富豪のオーナー達によってではなく、ファンの要求に依るものだとも。

「なぜか?答えは簡単だ。市場が成長しているんだ。究極的には、市場は顧客次第だ。そこには、良いサッカーを見たいと願い、それに金を払う気があるファンが居る。だからクラブが払える金は増える。でもトップクラスの選手が生まれる数は変わらない」

「これは典型的な“Make-or-Buy”の問題だ。市場で買えないのなら、作るしかない。つまり、アカデミー、コーチ、若い選手の獲得に多額の資金を投じるということだ。ベンチャーキャピタルみたいなものだよ。10人の選手に1,000万ずつ投資したとしたら、1億の値がつくようなトップ選手に育ってくれるのは1人だけで良い」

マンチェスター・シティについて言えば、CFGのクラブ網を拡大していくことは、イングランド・サッカー界が17歳から18歳の有望な選手に関して抱えている問題を解決することに繋がる。ソリアーノはこれを育成ギャップと呼んでいるが、イングランド代表がなぜいつも残念なのかの説明にもなるかもしれない。

「もしトップクオリティの(才能がある)選手がいたら、彼は成長のために、コンペティティブな環境でプレイしなければならない。技術的な面だけでなく、プレッシャーの面でもだ。イングランドのU21やU19の大会ではそれが叶わない。なぜなら、試合にはほとんど客が来ないし、コンペティティブなテンションも不足しているからだ。」

「もしスペインやドイツが育成において(イングランドより)ずっと上だとしたら、それはバルサレアル・マドリーバイエルンのようなクラブが皆、下部リーグで他のプロクラブと戦っているようなリザーブチームを持っているからだ。イングランドで行われているような、完全に切り離されたリーグではなくね。」

「もし才能があり有望な18歳から19歳の選手がいるなら、彼を一軍と一緒に練習させてもいいが、試合は2部の、タフでコンペティティブな、3万人の観客が来るようなリーグでさせるべきだ」。

 

プレミアリーグのクラブはセカンドチームを持つことが許されていないため、若い有望選手を育てる最もありがちな方法は、下部リーグへの貸し出しだ。例えば、マンチェスター・シティは現在約20人を貸し出している。しかし一旦貸し出してしまえば、親クラブは各選手の育成をコントロールできない。30人以上の選手を24の異なるクラブにレンタルさせているくらい、大量の若い選手を獲得しているチェルシーが証明しているようにである。最悪の場合、これは選手を倉庫にしまい込んだまま、キャリアを潰してしまうことにも繋がりうる。(理屈の上では)全てが同じスタイルのサッカーをプレイする、というCFGのクラブ網は、この問題を解決するためのものだ。ソリアーノは「このシステムにおいて、我々はグループ内のクラブが何をしているか、ということを完璧に把握している。指導法も、プレイスタイルも、あらゆる面で同じなのだ」と言う。

 

このビジョンが上手く機能すれば、期待通り育った選手は、例えばトルケからニューヨークへ、そしてジローナへ、最終的にはマンチェスター・シティへ、といったキャリアを歩むことだろう。選手1人1人はグループ内の各クラブに所属しているから、CFGには所有権はない。つまり、それぞれのクラブはグループ外のクラブとの競争に勝ち、適切な移籍金を払って(グループ内の)選手を獲得する必要がある。だが、CFG内のクラブは、どの選手がCFG内の他のクラブにフィットするかについて、内部で選手の情報を共有している。また、移籍金は究極的には1つの企業体(CFG)の中で循環するのだ。好例はアーロン・モーイだろう。2014年にメルボルン・シティに加入したモーイは、2年連続でメルボルンのクラブ最優秀選手に輝いた。CFGはモーイがイングランドでプレイ出来るレベルにあると見て、メルボルンマンチェスター・シティにモーイを42.5万ポンドで売った。モーイは1試合もシティでプレイすることなくハダーズフィールドに貸し出され、彼らの昇格に貢献し、そのまま完全移籍となった―移籍金は1,000万ポンドだ。このディールは、CFGがグループ内選手に関する内部の知見をどう活用出来るかを示している(実際にはマンチェスターでプレイしたことがなくてもだ。)この移籍で生み出された利益は、メルボルン・シティを購入した際の価格の40%以上にも達した。

 

*1:5人制のミニサッカー

CFGが目指す世界支配(1/3) Guardianの記事訳

(The Guardianの記事が面白かったので翻訳した)

www.theguardian.com

サッカーはすでに巨額の金によって変貌を遂げてきた。しかし、マンチェスター・シティの背後にいるビジネスマンは、業界を永久に変えるグローバルな企業体を構築しようとしている。(By Giles Tremlit)

 

 

2009年12月19日、ペップ・グアルディオラは、アブダビはザーイド・スポーツ・シティ・スタジアムの真ん中で立ち尽くし、涙を流していた。(中略)世界で最も著名な監督がこんな風に取り乱すとは奇妙なことだが、それというのもこの日の勝利が、1つのクラブが1年で手にしうる6つ全てのタイトルのうち、最後の1つを確定させるものだったからである。

一方、フェラン・ソリアーノにとっては残念な瞬間だった。ソリアーノはヘアドレッサーの息子で、バルセロナの労働者階級が多い地区で育った。FCバルセロナの経営幹部の1人となり、バルサが”史上最高のサッカーチーム”と呼ばれるようになる過程に、多大な貢献を果たしてきた。「幸せだったが、チームが頂点に達した瞬間に立ち会えなかったのは辛かった」とソリアーノは語った。代わりに、彼はグアルディオラに電話した。

ソリアーノは2008年までの5年間、バルサの財務を管轄してきた。また、彼が発展させてきた構想は、近年のバルサの栄光に大きく貢献してきた。ソリアーノが2003年の会長選挙でアメリカ式の選挙キャンペーンを持ち込み、向こう見ずでビシっと決まったスーツの若いビジネスマンたちをクラブの要職に付けて以来のことだ。彼は『ゴールは偶然の産物ではない』という本まで書いたが、その中で「バルサの成功と栄光は、的確かつクリエイティブな経営の結果だ」と主張している。悪意ある政治的内紛によって、彼は6冠達成の前年にバルサを追われていたが、その前から、「他国でフランチャイズクラブを設立する」という彼の野心的なアイディアはバルサ内部で妨害にあっていた。クラブ運営の議決権を持つ14.3万人のファンを持ち、バルセロナの街とカタルーニャに深く根を下ろしたクラブにとっては、余りにも突飛な計画だったのだ。

 

しかし、ソリアーノの壮大な構想は、グアルディオラが号泣したアブダビの夜を注視していた2人の男によって、息を吹き返した。片方はアブダビ王家の1人、マンスール・ビン・ザイード・アール=ナヒヤーン。もう片方は、若き要人にして王家のアドバイザーであるハルドゥーン・アル=ムバラクである。彼らの支援を得て、ソリアーノは今、世界初の真の多国籍企業体、いわばサッカー版コカ・コーラを作り上げることで、サッカー界の既存秩序をひっくり返そうとしている。

その企業体が、シティ・フットボール・グループ(CFG)だ。CFGはすでに4大陸に6つのクラブを所有、あるいは共同所有しており、240人の男子サッカー選手と20数人の女子サッカー選手と契約している。そして、慎重に選別された100人以上の育成年代の選手が、大志を抱き、下部組織でプレイしている。長期的な野心は壮大である。CFGは世界中で優れた選手を探し回り、最先端のアカデミーと育成施設で彼らを磨き上げ、10を超える国のクラブ(CFGが既に持っているか、今後取り込むもの)の中で、最良と思われるものに売るか、送り出す。護送兼供給船団に守られた、この新たなサッカー艦隊の旗艦がマンチェスター・シティである。シティの役割は、これまでも目覚ましい成果を上げてきた、世界一のクラブを目指すという取り組みを続けていくことだ。

これがソリアーノの構想、あるいは少なくとも、複雑な計画の簡易版である。CFGは設立されてたった4年だが、短期間で、世界で最も人気のあるスポーツにおける最大勢力の1つになった。CFGがサッカー版のGoogleFacebookになりうるのではないかと考える人々から、畏怖をや嫉妬、恐怖を向けられているというわけだ。

 

 

 

 

トップ選手に2億ポンドの値が付き、数億人が試合を観戦し、世界有数の金持ちがクラブを保有する時代において、優位を得るための出費が惜しまれることはない。昔々、違いを生み出すためには、お金だけで十分だった(賢く使われさえすれば)。しかし、もはやそれだけでは足りない。一つには、サッカー業界に金が溢れるようになったからだ。

シティが2012年にリーグ優勝したとき、マンスールは「10億ポンドでタイトルを買った」と広く批判された。10億ポンドとは、その前に4年間に彼がシティにつぎ込んだ金額だ。(中略)しかし、それはある時代の終わりでもあった。欧州サッカー界の規制機関であるUEFAは、クラブが自分たちで稼いだ以上に資金を費やすことができないよう、新たなルールを制定した。否定派は、マンスールを道楽者の戯れと批判する。今日でさえ、彼の「個人的な」(シティの)所有が、アブダビソフトパワーの道具として使われているのではないかという疑念を呈するものもいる。しかし、彼の声明(滅多にない)は、彼がシティを純粋かつ長期的な投資として買収し、資金を投入してきたことを明らかにしている。というのも、「ビジネス的に言えば、プレミアリーグは世界最高のエンタテインメント商品の1つ」だからだ。

ソリアーノの野心はその倍だった。彼はサッカーとビジネス両方で勝とうと考えていた。しかし、UEFAが資金投下にブレーキをかけたため、目標達成ははるかに難しくなりそうだた。ソリアーノには、新しい何かが必要だった。シティは、金を失うことなく勝てるのか?

 

実際のところ、ソリアーノを筆頭とする若くて賢いビジネスマンの一味がバルセロナの経営に就いたとき、バルサは赤字クラブだった。財務部門のトップとして、ソリアーノは「多額の投資、タイトル、増収」という好循環をもたらすことに貢献した。(中略)しかしソリアーノは、バルサを単なる都市のクラブよりはるかに大きな存在として見ていた。グローバルのサッカービジネス自体が、新たな時代を迎えようとしていることに気づいていたのだ。2006年にロンドンで行った講演で、ソリアーノは初期の頃の構想についてプレゼンしている。すなわち、世界中でファンベースが凄まじい勢いで拡大しているために、ビッグクラブは「サーカスのような、地元のイベントのプロモーター兼オーガナイザー」から、「ウォルト・ディズニーのようなグローバルエンタテインメント企業に変貌しつつある」。もしビッグクラブが「拡大と、グローバルなフランチャイズとなるチャンス」を掴むことができれば、ライバルに圧倒的な差をつけた、新たな支配的エリートとなるだろうというのだ。

実はその頃、ソリアーノイングランドのサッカーが古いモデルに捕らわれていることに失望していた。ヴェンゲルやファーガソンはまるで自分がクラブを所有しているようだったし、ビジネスモデルの概念化は皆無に等しい状況だった。そもそも言葉の使い方からしてそうなのだ。「イングランド人は監督(Coach)を“Manager”と呼ぶが、まるで監督がクラブのすべてをManageしているみたいじゃないか」とソリアーノは回想する。(中略)バルサを去った後、彼はスパンエアーのチェアマンに就任していたが、ピッチ内外両方での優位性を探し求めていたマンスールによって、NYの弁護士であるマーティ・エデルマンとの邂逅を迎えることになる。

 

エデルマンはマンスールに雇われ、ごく初期からハルドゥーン・アル=ムバラクとともに働いてきた。不動産のエキスパートであるエデルマンは、以前からアブダビの信頼厚いアドバイザーであり、このアメリカ人の登用は、シティの新たなコスモポリタニズムの表れだったと言えよう。当初、ソリアーノはシティの成長を一笑に付していた。ライバルであるマンチェスター・ユナイテッドと付き合っていたし、「ステレオタイプな富豪オーナー」を信頼していなかった。本の中で、シティを「非合理的な投資によって野放図なインフレを引き起こしている」クラブの1つとして挙げていたほどだ。だが、両者は徐々に共通する価値観を見つけていった。中心にあったのは、野心-現状に挑戦する意欲であった。

(中略)そして、シティは「バルセロナ級のクラブに成長する」という長期計画へのマンスールのコミットメントを示すことでソリアーノを説得し、ソリアーノは多額の投資、イマジネーション、そして冷静さを必要とする先駆的な計画をピッチした。両者は、シティは世界最高のクラブを目指していくべきだということに同意した。長きに渡って、バルサレアル・マドリーマンチェスター・ユナイテッドによって占められていた地位だ。「それも世界の2位や3位じゃない。ナンバーワンだ。」とソリアーノは語った。

世界一のクラブにあるという構想は、虚栄やビジネス的強がりではない。ソリアーノははるか以前から、少数のエリートクラブが新たに拓かれたグローバル市場を獲得するだろうと考えていたが、彼は「はるかに大きなもの」を構築しようとしていた。ソリアーノの指摘では、サッカークラブは巨大なブランドだが、ビジネスとしてはバカバカしいくらい小さい。5億人のファンを持つクラブでも、収入は5億ポンド程度。ファン1人当たり1ポンドしか稼げていないのだ。まったくバカげてる、と彼は言う。ビジネス用語で言えば、これは「愛情(消費)溢れる人々と、愛情ゼロの人々の組み合わせ」だ。なぜなら、(例えば)インドネシアにいるファンは、応援するクラブに1銭たりとも使ってはいないからである。「じゃあどうする?答えは単純だ。単純すぎるかもしれない。しかし、実行には勇気を要する。グローバルでありながら、同時にローカルでもいなければならない。インドネシアに行って店を開くんだ」。ソリアーノの構想はこうだ。グローバルブランド(マンチェスター・シティ)と多数のローカルブランド、両方を持つ。クラブ間のネットワークを通して才能ある選手を育成する。同時にそれは、シティへの選手供給源にもなる。突拍子もないアイディアに聞こえることは、彼も理解していた。「もしこの構想をレアル・マドリーに提案していたら、『頭おかしいんじゃないの』って言われただろう。バルサでは実際そうだった」。

 

だが、シティはすでに革命のさなかにあり、その先に進む準備もできていた。エデルマンにとって、ソリアーノの構想は、マンスールの巨額投資で作られた骨格を肉付けするものだった。「偉大な構想には必ずホスト役が必要だ。我々は理想のホスト役だった。フェランの構想だけ盗んで、ゼロから始めようったってうまくいかない。彼の構想は、マンスールのもともとのビジョン-ただのオールスターチームを作るのではなく、未来への枠組みを作る-を実現し、強化するものだった」とエデルマンは言う。

ソリアーノは2012年9月1日から、シティのCEOとして働き始めた。2日後には、新クラブ設立のためにNYにいた。MLSに1億ドルを支払い、ゼロから新たなクラブを作るのだ。ローカルパートナーを探した結果、エデルマンはソリアーノを、ヤンキースのオーナーであるハンクとハル・スタインブレナー兄弟に引き合わせた。ハンクはサッカーファンで、大学でもプレイしていたし、高校の部活でコーチもやっていた。15秒で合意したというから、エデルマンが成立させた中でも、最速のディールの1つだった。ヤンキースは株式の20%を得て、臨時のホームとしてヤンキースタジアムを貸し出すことに合意した。ニューヨーク・シティFCと名付けられた新クラブは2015年からリーグに参加し、今やForbesから(企業価値を)2億5百万ポンドと評価されるに至った。ファンからは「NYCFC」あるいは「ニューヨーク・シティ」と呼ばれている―マーケターにとっては夢のようだ。「我々のブランドは理想的だ。なぜなら、ブランドネームは『シティ』だから、どんな都市名にも『シティ』と付けられる」と、洗剤のマーケターとしてキャリアを始めたソリアーノは考えている。

2016/17 マンチェスター・シティの振り返り, part2:ほぼ私信編

アトさんの「ペップと"常識"の狭間で ~16/17ペップ・シティの1年」に対するアンサー。

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就任当初について

ちなみにペップが一年目のプレミア&シティで華々しい/圧倒的な成功を収めるイメージは最初から持っていなかったんですけど、それでも何か"隠し玉"があるのではないかもっと"奥"があるのではないかという期待は途中までは持っていて、それははっきり言えば、裏切られましたね。・・・むしろ「選手起用」編で言ったように、独特な単純さ、場合によっては"浅さ"が、ペップの(天才の)大きな特徴であったわけで。チーム作りにおいても。

ただその後は・・・特に無いというか、その時点で"マンネリ"を気にさせないくらいの圧倒的な強さがあればいいなという祈るような気持ちと、言ったってなんか色々とあるんでしょ?ペップという、やがて裏切られることになる(笑)幻想的期待があったのみというか。

とにかくそういう意味での"幻想"は、持っていないかと言えば、持っていました(笑)。ある時期までは。 

 

グアルディオラ就任決定の報を聞いたときの最初の反応は下記だったんですが、まあ正直、「もろたでこれは」という気持ちは、ありましたよね。泣く子も黙るグアルディオラだもん。何だかんだ、勝つだろうと。正直なところ、今でもちょっとある。ただ、大分説得力を持ってきたなというか、根拠のない感覚では無くなってはきたというところ。

 

余談ですけど、就任当時のシティファン界隈、リアル知り合いにはいないのでTwitterで、私がフォローしている人とそのRTに限定した話なのでサンプル数10程度の話ですが、まあとにかく界隈の反応として男性は歓迎、女性は懐疑的、という傾向が強かったように思います。前者は強いシティ、革新的なシティが見られるぞという反応で、後者は「なぜペップがシティかわからない(納得できない)」という反応が多かった。一般化するのはどうかとも思うけど、興味の違いってありますよね。こういうフォーメーションで、こういう選手を買って・・・というのは、オタク的なサッカーファンの男性なら大体一度はしたことあると思いますけど、私が知る範囲では、そういうものに興味を示す女性ファンというのは、あんまりいない。

 

 

実際始まってみると「好奇心」と「消化プロセス」の"脳を開く"効果はペップ自身の想定をも恐らく越えたものがあって、大した内容でも大したメンバーでも(笑)ない中で、あれよあれよキャッキャウフフと、開幕から公式戦10連勝なんぞを達成してしまいました。シティ自体に自惚れることはほぼ無かったですが、プレミアやっぱ大したことないかなと思うところは無くは無くて、ひょっとしてこのままイケるかもと、思った時期が僕にもありました(笑)。キャッキャ。ウフフ。

何だったんでしょうね、あれは。実際守備面は目に見えて改善されていたけど、攻撃はそんなにうまいこと行っていなくて、対応され始めると途端に、最初は仕事ができていたかに見えたクリシやサニャたちにも粗が目立ち始めて。単純に「相手が慣れてなかった」んだと結論づけています。

 

戦術とか施策とかについて

実際ペップの一つ一つの施策に"納得"していたわけではあまりなくて、色々やっていたけどぶっちゃけどれも特には"ハマ"っていなかったように思うんですよね。・・・シルバとデブライネの二枚をインサイドに並べる形くらいかな?僕がクリアなものを感じたのは。例の開幕当初の連勝を支えた。ただその後ペップがその形に、特別な注意を払っていた気配は無い。

どうでしょうね。アンカー落としとか、3-2ビルドアップとか、基本文法的な動きを除けば、シルバ&デ・ブライネのインサイド起用、SB陣のファルソ化、、ジーニョのアンカーと左右のサイドバック、フェルナンドの右バック、4-4-2ダイヤ、とかそんな辺りでしょうか。確かに、どれも大した効果を産んでない。ジーニョのアンカーはよくやったとは思いますが、消去法ではありましたしね。

 

ただ、ポジショナルプレイの実践(攻守両面で効くような配置を取るためのプレーの反復)とか、その基礎としての速いパス回しを行う技術とか、そういうものは確実に向上していて、目に見えやすい”施策”よりはそちらを遂行させることの方にペップの手腕は現れていたんじゃないかと思います。わかり易い例で言えば、オタメンディが組み立てで安易に右SBに押し付けなくなったり、GKのほとんど真横という意味の薄い場所でボールを受けなくなったりとか。そうした点については、私は結構納得していました。

まあバイエルン時代の本を読むと、「ファルソラテラル」(所謂“アラバロール”)は、割と大発見的なノリで発明しているんですけどね。

ペップ・グアルディオラ キミにすべてを語ろう』p187-188

アスティアルタはこの朝のことを、後に目を細めながらこう語った。「ペップとともに過ごし、感動したトップ10の瞬間の1つだったんだ。忘れられないよ。」

グアルディオラは、誰もがひと目で分かるほど高揚していた。(中略)「ここからが新しい戦術的な変化だ。ラフィーニャとアラバを、サイドバックだけれども中盤に置く。(中略)たとえボールを失っても、全員がセンター近くの高い位置に居るので、ボールの奪還は容易だ。」

そして今後も、”施策”というよりは、原理原則と、それを支える技術(止める蹴るだけでなく、位置取りや判断を含めたもの)の方に、主な変化が現れてくるんじゃないかと思います。我々日本人の素人には、わかりづらいですけどね。幾何学的な配置には興味あるけど、「フォーメーション」には興味ないみたいな笑。日本のサッカーファンには読取りづらい違い。

 

 

パーソナリティ、選手の扱いについて

開幕直後に下記のようなツイートをしました。

これは「ペップが嫌われているなんて」と言いたいわけじゃなくて、「嫌うほどのキャラクター、ある?」という意味ですね。ペップの人間性、興味あります?機械みたいじゃない?失礼な言い方ですけど。

思い起こすと、シティが弱くてCLに出られなかった頃はチェルシーも好きだったので、ちょうどペップ・バルサ初期はチェルシーとの因縁の決戦をほぼ毎年観戦していたわけですが、その頃は所謂「劇団バルサ」に結構腹を立てていたわけですよ。ピーピーうるせえな、みたいな。アンチフットボール論争を一部で呼んだ2008/09の試合(イニエスタがロスタイムに決めたやつ)にしても、再三のハンドを見逃した審判や、調子に乗って適当なことを言うチャビ大僧正に反感を感じないでもなかったのですが、グアルディオラについてはとくに意識もしていなかった記憶があります。というか、ほとんど何かを喋っていた記憶すら無い。

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そういう意味で、彼を嫌っている人については、よくあんなに人間味がない人間を嫌いになれるなあという気持ちにはなる。ヴェンゲルとか、コンテとか、モウリーニョとか、他の監督と比べても本当に人間味はない。悪い意味ではないんだが、本人にはとても言えない。

 

 

で、アンリ、ヤヤ、アグエロに見る、選手の扱い。

これについては昨今はすっかり、「代理人が余計なことを言ったからペップがへそを曲げた問題」として説明されるのが通例となりましたが、元はと言えばそもそもヤヤ・トゥレ自身のプレイスタイルなりコンディションなりの理由から、ペップが積極的に使おうとする素振りを見せなかった、それに対する代理人の牽制ないし寝技(笑)があの「ウチのヤヤ使わないで負けたら、それはベンチがアホやからということになるよね?どうですか皆さん!」(意訳)という発言であったわけで、結果的に言うとむしろ"代理人"が悪役として全ての問題を引き付けることによって、ヤヤ自身はチームに入り易くなった、バルサ時代からしっくり行ってなかったらしいペップに頭を下げ易くなった、そういう面が大いにあるような気がします。そこまで計算していたのなら代理人優秀過ぎますが、さすがに違うだろうと思いますが。(笑)

これは言われて気づきましたけど、本当にそうなんですね。本来は純粋にクオリティの問題だった(確証はできませんが、少なくともCLメンバーから漏れるまでは、代理人もとくに何も言ってなかった)はずの問題を、「謝るか謝らないか」にもっていったというのは凄い。

 

端的に言って、それが嬉しかったか、今年のヤヤ・トゥレを見ていて楽しかったかというと、うーんという感じ。

手前味噌になりますが、例えレギュラーでなくても"スポット"起用で輝いたり、変則起用でもFWで新味を出したりしてくれた方が、サッカー的な"意義"はあったような気が、未だにしています。

・・・いや、だってどこかの国のJリーガーじゃあるまいし(おい)、別に1ペップに嫌われようが首切られようが、ヤヤ・トゥレは生活に困窮するわけでも前途が閉ざされるわけでもないわけじゃないですか。さっさと別のクラブに行ってまた王様やるか、少なくとも"ヤヤ・トゥレ"として扱ってくれるチームでプレーした方が、見てる方も幸せなはずですよね。そうするだろうと、みんなも思ってたろうし。

こういうアンリやヤヤ・トゥレに向けられたペップの"収拾"力、悪く言えば「陳腐化」力みたいなものは同様にアグエロにも向けられていて、こちらは今のところは、前二人とは違うキャリアピークのアグエロの元気さもあって、そんなにつまらないことにはなっていない。"進化"と言えないことはないというか。

でもそれでも結構、ギリギリのラインだと思います。これ以上、アグエロの「特別」を「一般」の方に寄せて行ったらもたない、特にジェズスとの2トップ構想というのは、出来ないことはないだろうけれど、来季へ向けての"希望"よりは遥かに"不安"ないしは"不満"要素だと思いますね。はっきり言って、別に「見たく」ないし。(笑)

「陳腐化」するのは確かでしょうね。本当に「ニュアンス」に興味なさそうだから。一方で、それがつまんないかと言われると、個人的にはそうは思わないかな。デ・ブライネのようにインサイドMFに配置換えされて、ほとんど怪物になっている例もあるし。

思うに、この「ニュアンス」、あるいは「ストーリー性」に近いんじゃないかと思いますが、基本的には選手のエゴと、見る側の(悪く言えば)妄想なんではないかと。ヤヤで言えば、俺はアンカーじゃない、もっと試合全体に影響を及ぼしたいし、何なら試合も決めてしまいたい。そのために走るべきときと走らざるべきときは自分でちゃんと計算していて、走らざるべきと思ったときは走らなくても全然悪いことをしたとは思っていないと。加えて、シティが強くなった立役者は誰をおいても、まずはシルバ、コンパニ、そして俺だろう、みたいな。前述のように後半はこちらの妄想ですが、そういうストーリーを背負っていて、その文脈の中でもう一花咲かせると盛り上がるというのは確かだと思いますが、まあちょっとそこら辺は期待できない監督でしょうね。

個人的な感覚の話に戻ると、SNSの隆盛で試合がなくとも30分置きに何某かのチームニュースに触れられて、練習風景の公開なんかも進んでいて、余計に「ニュアンス」を持たせやすい環境になっていますけど、それに食傷気味、というところもある。こういう話(下記)もありましたしね。

 

で、今後。

来季は・・・どうなるんでしょう。あんまり変わらない気もするんですけど、それでもまた何か、驚きはあるのか。

いや、まあ、その前に勝ちますか(笑)。とりあえずどっちか下さい、発明か、勝利か。 

 ひとまず後者の方でなんとかするという感じの今シーズン序盤ですが、末永いお付き合いを頂きたいもんです。

2016/17 マンチェスター・シティの振り返り, part1: 総評編

プレミアリーグの笑えるところは、上位6クラブのファンの大半が、自分が好きなクラブは選手層が薄く、今まさに改革の途上にあるか、今後大きな強化が必要であり、よって優勝の最有力候補ではないと思っていることだ。傷つきたくない私たちの、鉄壁の守り。セリエAよりよっぽどカテナチオである。それでも、ペップ・グアルディオラを呼んでおいてCL出場圏内が目標だったという話が通じるほど世間は甘くない。もう10月になってしまったが、2016/17シーズンのマンチェスター・シティ、とくにピッチ内について、何が悪かったのかを考えてみたい。

 

グアルディオラが率いるマンチェスター・シティの1年目は、多少は印象的ではあったが、別に革命的ではなく、とくに強くもなかった。リーグ戦は3位で、優勝したチェルシーからは勝ち点で15も離されていた。CLはベスト16、FAカップは準決勝、リーグカップは2回戦かそこらで敗退したので、もちろんタイトルもゼロだった。ときどき、笑える負け方もした。

http://media.gettyimages.com/photos/tom-davies-of-everton-lifts-the-ball-over-goalkeeper-claudio-bravo-of-picture-id631741524

さらば、優しいペレおじさん

良い点は確実にあった。一言で言って、ロジカルになった。そして、インテンシブなチームになった。まあ「キビキビした」くらいの意味だが。

ロジカルになったというのは、相手によって試合ごとに狙いを変更し、またその狙いを実現するためのメカニズムを変えていたこと、そしてその狙いを試合において実現できていた、ということだ。例えば、Hエヴァートン戦やHサウサンプトン戦など(特に前半)は、シティが過去15年一度も見せたことがないレベルで相手を圧倒していた。

キビキビしたというのは、速いネガティブトランジションと、高い位置からのプレッシングで相手の攻撃を阻害し、カウンターにつなげるという狙いがシーズンを通して徹底されていたことだ。マンチーニやペレグリーニも緻密な戦術を立てて試合に臨んではいたんだろうが、とくに後者は選手がその狙いを全うするための強度に無頓着なところがあり、有り体にいって「こいつらはいつ本気になるんだ?」という試合ばかりであった。それがある種のカタルシスになっていたところは否定しないが、苛立ちを感じることが多かったのも事実である。

 

 

一方で、大きく分けて3つの問題を最後まで解決できなかった。

その1、決定力がなかった。シュート成功率は上位6クラブで最低で、チャンスコンバージョンレートもチェルシーアーセナルトッテナムに劣っていた*1。Guardianのジェイミー・ジャクソンは、モナコ戦の敗因を決定力不足に求めたグアルディオラを「頑迷」と評したが、それは違うだろうジェイミー。そりゃまあ、守備も問題だけど。ボールは持てる。2列目に良いポジションでボールは渡せる。しかし決まらない。ニアを開ける術がない。1トップを大きく動かし、CMFをゴール前に突入させるという形が多かっただけに、点が取れないシルバとデ・ブライネがCMFから動かせないというのは解決が難しい問題であった。

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その2、カウンターを阻止する鍵となるSBとアンカーに戦術的、肉体的な強度を欠いたために、カウンターに弱かった。またそのために、前線を柔軟に動かせなかった。サニャ、サバレタコラロフ、クリシはコラロフを除いていずれもTeam of the year受賞経験がある名SBだが、複雑なタスクをこなし続けるには年を取りすぎていた。一方で、1v1に弱いストーンズやショットストップが壊滅的だったブラボを抱えて、普通の4-1-4-1や4-2-3-1を用いてトップレベルで戦える陣員かといえば、それも難しかった。ハートを残していたら?まあそりゃあブラボよりは良かっただろうけど、SB陣も含めて、出来るだろうと見込んでシーズン臨んだわけだからそれを言っても仕方なかろう。その見立てが甘かったとは言えるだろうが。

 

その3、組み立ての精度が安定しなかった。プロの言を借りる。

シティの不安定さの原因は、ボールポゼッションの精度が安定しないことにある。大敗したエバートン戦(4-0 / 1月15日)の失点場面を思い出すと、グアルディオラの絶望がひしひしと伝わってくる。(中略)ポゼッションが安定しなければ、想定外の場所でボールを奪われる。奪われた時の守備の準備ができていないから、相手のカウンターにさらされる状況になり、GKブラボが失点を重ねてしまう。そんな場面は今季に何度も見られてきた。

(出所:月刊フットボリスタ 2017年3月号 らいかーると氏の文章より)

失点後のマンチェスター・シティは、サニャのアラバロールをするようになる。フェルナンジーニョがボールを受けられたように、サニャもフリーでボールを受けることができていた。マンチェスター・シティの問題は、モナコの1.2列目のライン間を使うことができていたけれど、そのエリアから先にボールが届かなかったことにあった。サニャ、フェルナンジーニョが前線のシルバ、デ・ブライネ、スターリング、サネ、アグエロにボールを供給できなかったことで、バックパスを繰り返すことになる。ストーンズたちからすれば、1.2列目のライン間にボールを届けて仕事は終了なのだが、バックパスがすぐに戻ってくるので、なかなか大変な状況となった

【カウンターの再現性】モナコ対マンチェスター・シティ【重要なことは、誰が時間と空間を得るか】 - サッカーの面白い戦術分析を心がけます

 

シティのホラーストーリー: 聖なる三位一体の崩壊

とまあ色々言ったが、この辺りは全部、多分解決可能な問題なのだ。「10年に1度のバブル」「過去最高にバブル」「破裂寸前」と言われながら、AmazonFacebookのようなテック系企業も放映権料獲得の姿勢を示したり、TVと比べてコストが低いネット配信が普及したりとサッカー放映市場の拡大はまだ続くことが予想される。

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オーナーのおかげもあって、財務面の安全性も保たれている。良い選手をきっちり買えれば何とかなる問題だろう。もっと問題なのは、グアルディオラ自体が競争力を失うことだ。

今のシティは、サッカー部門のスタッフがほぼグアルディオラ仕様で固められている。どこでもいっしょにやっているトレント(助監督)、プランチャール(アナリスト)、ブエナベントゥーラ(フィットネスコーチ)辺りは別としても、ドクターも元バルサと元エスパニョールのコンビだし、移籍の決定権はすでにグアルディオラにあるという噂もある(無理もない)。シティのオーナーが他の大富豪オーナーと違って成功できた要因の1つが、チキとソリアーノというトップレベルで成功していたプロの登用だが、この二人からしてバルセロナ時代のグアルディオラの同僚なのだ。グアルディオラが失敗に終わった場合、この聖なる三位一体の残り2人まで一緒にシティを去ってしまうのではあるまいか。サッカー部門とCEOを丸ごと総入れ替えするというのは極めて難しく、時間がかかる。

www.dailymail.co.uk

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確固たる根拠があるわけではないが、不安要素はある。サイモン・クーパーは実証的な文章を書く人間ではないが、革新的な監督のピークは40歳前後で、その後は”どこにでもいる監督のひとりになり、選手の調子がよければ勝ち、悪ければ負けるようになる”というのは、よくできたホラーストーリーだ。

sportiva.shueisha.co.jp

年をとっても、グアルディオラは(少なくとも素人目には)斬新なプレーを開発するだろう。それが、本人にとっては温故知新であるかどうかにかかわらず。ただし、今のようにタイトルを獲り続けられるかはわからない。ビエルサゼーマンのように、世界中にフォロワーはいるが、トップレベルではほとんど何も勝ち取らない、おもしろ戦術おじさんになる可能性もある。

http://media.gettyimages.com/photos/soccer-world-cup-2002-sweden-argentina-disappointment-marcelo-bielsa-picture-id533493174

根拠は無いと言ったが、萌芽はある。モナコ戦ではグアルディオラの扇形のカウンター防御に対して、インナーラップとドリブラー起用で崩す、というある程度模倣が可能な対応策を、実用的な水準で仕上げてきていた。言葉にすると複雑だが、絵にすると意外と単純。

モナコのカウンターの特徴は、2トップがひらく。マンチェスター・シティは3バックで相手のカウンターを迎え撃つパターンが多いので、両脇のセンターバックをピン留めする。そして、アンカーのいる選手(フェルナンジーニョやアラバロールのサニャ)にドリブルでつっかける。そして、突破するか、2トップにボールを預ける。2トップの選手がサイドに流れた場合は、後方の選手のインナーラップ。サイドに流れなかった場合は、図のようにオーバーラップする。

カウンター状態は、守備が整理されていない状況といえる。マンチェスター・シティは、正しい位置(例えば、サニャがサイドバックの位置)に戻るのに時間がかかる。可変システムの罠。また、前線に攻め上がった味方(特にウイング)が戻ってくるのに時間がかかる。よって、モナコの狙いは相手を正しい位置に戻りくいポジショニングや攻撃方法と相手が下ってこないことを考慮したカウンターを設計していた。また、それらの流れをすっ飛ばして、ムバッペがストーンズにただただ仕掛ける形も何度か見られた。

【カウンターの再現性】モナコ対マンチェスター・シティ【重要なことは、誰が時間と空間を得るか】 - サッカーの面白い戦術分析を心がけます

 

 

別にグアルディオラの戦術完全攻略!とか、そういう話ではない。接触のあるスポーツなので、選手の入れ替えで補填できる部分もある(例えば今シーズンは、ウォーカー、メンディ、デルフといったSB陣のスピードとパワーでボールを奪えるシーンが増えている。例えば、ワトフォード戦の3点目、ジェズスの得点シーン)。そういう白か黒か、「完全崩壊wwwww」みたいなまとめサイト的な過剰な形容詞の世界ではない。原理的に対応が難しい対策は常に編み出されるもので、グアルディオラがさらにそれに対応し続けられるかはわからないということだ。そして、そうなってしまうと中々苦しいのが今のシティである。

 

アブダビ買収後の第一歩は、まずピッチ内での競争力向上であった。スポーツクラブだから。その後、人材と組織の強化、収支の黒字化、海外の兄弟クラブ展開、クラブブランドの刷新と進んできたが、一周回って、ピッチ内の成績をもう一つ上の水準に高めることが必要だろう。マーケティングの模範として取り上げられるドルトムントでも、90年代にCLを制した名門という実績があった。シティにはない(あるけど古すぎて、マーケティングとしては無いに等しい)。果たしておもしろ戦術おじさんがそのミッションを果たせるのか。ファルソ・ヌエベ、ファルソ・ラテラルに続く秘策はあるのか。次回、全てが嘘になる。乞うご期待。

*1:Squawka.comより

モーリス・ロス: 2人の孤独なイズミット

ロスという選手について

2000年代初頭、まだレンジャーズが強かった頃、モーリス・ロスという選手がいた。ロスは細身のDFで、CBと右サイドバックをやっていた。もうはっきりとは覚えていないが、身軽で、知的で、細身だがタックルも強く、それなりにスピードがある、良い選手だった。ボール扱いも悪くなかったと思う(その頃はまだ誰もDFのボール扱いを真面目に考えていなかったのだ)。

http://media.gettyimages.com/photos/maurice-ross-of-rangers-celebrates-scoring-the-opening-goal-during-picture-id52457775

 

レンジャーズにはスター選手が揃っていた。少なくともスコットランドの基準では。

GKにドイツ人のシュテファン・クロス。DFラインにはフェルナンド・リクセン、ロレンツォ・アモルーゾ、アルトゥル・ヌマン。MFにはバリー・ファーガソンロナルド・デ・ブール、ヨルク・アルベルツ、ニール・マッキャン、あと若き日のアルテタ。FWにはミハエル・モルツ、ショタ・アルヴェラーゼ、カニージャにロヴェンクランツ。強豪国の代表クラスが勢揃いである。その中で、ロスは20台そこそこにして、レンジャーズの半レギュラーに収まっていた。2002年には代表にも選ばれた。チャンピオンズリーグにも出た。ロスには、それなりに輝かしい未来が待っているように見えた。

http://media.gettyimages.com/photos/champions-league-qual-glasgow-rangers-defending-fernando-ricksen-de-picture-id503979073

 

"I thought when I was 21 and at Rangers winning trophies that it was going to be like that forever," he admits. "I don't have a Champions League jersey in the house. I gave them all away to family and friends at the time because I would just think to myself, 'Ach, there's always the ones from next season to keep'. I didn't appreciate enough what I had."

出所:A lifetime of regrets for Maurice Ross, Motherwell's travelling minstrel - The Scotsman

 

そこから、ロスのサッカー人生は暗転した。シェフィールド・ウェンズデイウォルヴァーハンプトンミルウォールイングランドの下部を転々として、それからノルウェーに行き、中国に行き、遥かトルコはコジャエリにも行った。

2011年にスコットランドに戻ったときには、ロスはレンジャーズで「期待の若手」と言われていた頃の自分に、恐ろしくシニカルになっていた。曰く、最初からそんなレベルの選手ではなかった。周りのスター選手が、下駄を履かせてくれていただけだったのだ。

"I was treading water there. I just couldn't fathom how I was knocking my pan in just to be on a level playing field with the quality of the team-mates around me. The other guys in that Rangers side then could just stroll about and still be better than me. I was lucky to get the number of games I did for Rangers. I was probably only capped because I was at Rangers. I never watch any of my old games back on tape, it would just frustrate and annoy me."

出所:A lifetime of regrets for Maurice Ross, Motherwell's travelling minstrel - The Scotsman

Despite winning 12 caps for Scotland he felt playing alongside the likes of Barry Ferguson, Arthur Numan, Gio van Bronckhorst and Ronald de Boer every week gave people a false impression of his talents.

Ross added: “At Rangers, Numan would get the ball. It would be popped back to Amoruso. I am already going knowing Barry Ferguson will half turn and play it first time.

“At Millwall it went into Marvin Elliott and he lost it because he is not as good as Barry Ferguson, and suddenly I was 30-yards out of position.

“People think because I was a Rangers player that shouldn’t happen. I wasn’t the type of player who could beat five men. I needed support and I didn’t have it anymore.

“I was a link in the chain at Rangers. I would show up well as the links around me were so strong.

“When I went down south I didn’t have the ability to show I was brilliant.”

出所: Maurice Ross: Leaving Rangers finished me – The Scottish Sun

 

擁護をすると、彼は自分を卑下しすぎている。後にレンジャーズやセルティックで活躍したスコットランド人DF、例えばウィテカーとか、ブロードフットとか、ウェブスターとか、コルドウェル兄弟とか、その辺りと比べて格段に見劣りするなんて選手ではなかった。同い年のスコットランド人で、セルティックにいたスティーヴン・クレイニー(後にブラックプールで活躍し、イングランドプレミアリーグでもレギュラーを張った)との比較には「あいつは元から良かったから。ただチャンスが中々来なかっただけで」と言うが、クレイニーとロスがレギュラーに収まるスコットランド代表は、決してあり得ない未来ではなかったと思う。

Could there yet be a way back? Stephen Crainey, then of Celtic, was an international team-mate of Ross during the same period and has returned to the Scotland fold with Blackpool. Ross is making no such predictions for himself, though. He refuses to believe he has it in him. He claims Crainey was always good enough, he just missed the exposure until Blackpool's surprise promotion to the Premier League. The closest he has got himself to repeating anything like the good old days came in China.

 出所:A lifetime of regrets for Maurice Ross, Motherwell's travelling minstrel - The Scotsman

 

 

しかし、一度味わった栄光は、それがどんなサイズでも忘れがたいものだ。まず、ちょっとした不運が重なって、キャリアアップの道が撚れ始めた。その頃は2部に落ちていたとは言え、人気があったウェストハムへの移籍が決まっていたが、レンジャーズの都合とパーデューの心変わりで無くなった。

The story of how Ross ended up in Norway is one of what he calls catastrophic events. During his last year at Rangers he was very close to signing for Alan Pardew’s West Ham. He was in in London with a contract agreed when Rangers called him back up to Glasgow because of an injury to another player. By the time Rangers were willing to let him go, Pardew had ripped up the offer.

出所:90 Minute Cynic / Across the North Sea Interview: Maurice Ross

 

昇格するウォルヴァーハンプトンに移籍できそうだったが、セルティックのジャッキー・マクナマラと天秤にかけられて、取りやめになった。マクナマラは移籍してすぐに怪我をしたので、ロスは完全移籍するはずだったクラブにレンタルで派遣され、マクナマラが復帰すると切られた。

Then when his contract with Rangers was up, Wolverhampton were willing to offer him a three-year deal if their first choice, Jackie McNamara, would not leave Celtic when his contact came to an end at the same time. As everyone expected McNamara to get a new offer at Celtic, Ross looked set to sign for the championship club, who would gain promotion to the Premier League the following season.

Instead, McNamara ended up leaving Celtic in controversial circumstances and Ross was left without a club. When McNamara then incurred a serious injury shortly afterwards, Ross was loaned out to Wolves after not settling at his new club Sheffield Wednesday, eventually signing a six-month permanent contract with the club. With McNamara back to fitness, Ross was released again, this time ending up at Millwall and what he calls the worst experience of his career.

出所:90 Minute Cynic / Across the North Sea Interview: Maurice Ross 

 

レベルについて侮られがちなスコットランドリーグだが、レンジャーズとセルティックは毎試合3万人から4万人、下手をすると5万人近くの観客が入り、営業収入は世界のトップ20に入るようなビッグクラブだった。ミルウォールはそうではなかった。

‘It was a total culture shock in every sense. The football was completely different, kick and run. Players were eating baked potatoes and beans. The whole set-up was less professional than what I had been used to and it was a really bad time’.

出所:90 Minute Cynic / Across the North Sea Interview: Maurice Ross 

 

ロスは彼曰く“大したことない監督の下で、大したことない選手とプレーする”ことに適応できず、クラブにも馴染めず、試合に出たり、出なかったりしながら20台の中頃を過ごした。

"I kick myself every day," claims the Motherwell defender. "There's not a day that goes by where I don't think 'what if, what if'. If I'd just done things differently."

出所:A lifetime of regrets for Maurice Ross, Motherwell's travelling minstrel - The Scotsman 

 

“I had everything quick. I had the best of everything at Rangers. I worked with the best coaches and the best players.

“Before you know it you are at Millwall with not so good coaches and not so good players. But my head was still telling me I was dealing with Jan Wouters and Ronald de Boer.

“I wasn’t very good at adjusting and that becomes a problem. I had been used to a certain standard, but people were not interested.

“It didn’t help that I was so outspoken. There was also bitterness and resentment there, and that all came from my own mind set.

 出所: Maurice Ross: Leaving Rangers finished me – The Scottish Sun

 

その後、2008年にノルウェーに渡って、ウーヴェ・レスラー(マンチェスター・シティの名FWだ)が指揮するヴィーキングで、ちょっとキャリアを取り戻した。30試合近く試合に出たし、リーグで3位に入った。その頃のヴィーキングにはトーマス・ミーレ(元エヴァートン、サンダランドのGK)や、ラグンヴァル・ソマ(元ウェストハムのDF)といった英国のリーグ経験者がいたから、馴染みやすかったかもしれない。

Rosler and Viking offered him a way out.

‘I had a good feeling as soon as I arrived there. There was more money in the Norwegian league back then, Viking had just moved into a new stadium and had some very good players. Fit, hungry boys that tried to play proper football. It was a nice, fresh break from what had gone on at Millwall’

出所:90 Minute Cynic / Across the North Sea Interview: Maurice Ross  

 

 

我らが愛しのイズミット

そして2009年の2月、ロスはイズミットにいた。イズミットはイスタンブールからアジア側に渡って1時間か2時間ほどのところにある人口約30万人ほどの港湾都市で、海軍の基地がある。その他には?まあ、色々あるわな。トルコ人に言わせればだが。10年前の大地震で崩壊したまま放っておかれた家がそこかしこにあったが、きれいな街だった。

 

ロスはそのシーズンにトップリーグに昇格したコジャエリスポルに移籍したのだ。コジャエリスポルは昔UEFAカップにも出たことがあるクラブだが、その頃は全然強くなく、残留を目指して戦っていた。タナル・ギュレリという名ストライカーがいて、彼が1人頑張っているようなチームだった。

 

で、かつてモーリス・ロスに薄っすらと愛着を持っていたサッカー少年だった私も、まさに2009年の2月、イズミットにいた。私はその頃、イズミットで英会話教室のアシスタントをしたり、幼稚園で子供の面倒を見たり、中学生のガキにタバコをくれてやったり、クレー射撃の選手とつるんだり、まあプラプラしていた。正確にはどうだか知らないが、私が知る限り、その頃イズミットにいる日本人は私を含めて3人だけだった。ちょうど総選挙の時期で、県知事のイブラヒム・カラオスマノールが選挙対策の一環で我々と握手したのが新聞に載ったくらいだったから、珍しい生き物だったことには間違い無いと思う。

 

私はイズミットでちょっとしたトラブルを抱えていた。というか、トラブルがないことがトラブルだった。私はどこかの学校か職場で数ヶ月腰を据えてインターンをする予定だったのだが、私をイズミットに連れてきてくれた団体は適当な受け入れ先を見つけるのに苦労していて、だからこそ市立の幼稚園のようなところでも行かざるを得なかったのだ。幼稚園児というのは、万国共通で半分動物みたいなもんだから、英語が喋れようが喋れまいが、どっちでも良かった。会社や大学で日々トラブルに直面し、それを乗り越えていく自分を夢想していた私は、自分で受け入れ先を見つけようとするわけでもなく、団体を手伝うわけでもなく、ただ自分の不幸を嘆きながら、プラプラとしていた。こんなことをしていて良いんだろうか、と思っていた。

 

冬のイズミットは寒かった。私は同じようにイズミットにおける珍獣であり、同じ寒さに震えており、そして同じような場違い感を感じているかもしれないロスに、親近感を覚えていた。まあスコットランド人だから、寒くなかったかも知れないが。

 

結局コジャエリスポルは降格し、財政難に陥り、2017年の今では4部にいる。ロスには給与が支払われず、今でも未払いのままらしい。

www.kocaelisporblog.com

 

 

ロスは2013年に引退し、次の人生を選んだ。1年間、コスタ・コーヒーに朝から居座って、工学の勉強をし、次に監督になった。

He spent the next 12 months studying engineering while sitting in Costa Coffee then headed to Norway and a new life.

Ross said: “I told myself I would get over football.

“So I got up 7am every morning and went to the coffee shop and studied engineering.

“I stayed there for seven hours a day. I sat in Costa in Broughty Ferry five days a week. It really helped me and gave me focus again.

“I now work 12 hours every day, but it is not a stress. I finish work as an account manager and head to training. We train five days a week.

“I love it. This is like an investment for me. I have got the bug. I was thinking when was the last time I submerged myself in something?

“I have a good feeling about myself again and I have got that passion back.”

 

  出所: Maurice Ross: Leaving Rangers finished me – The Scottish Sun

 

 

ロスは今、フェロー諸島の首都トースハウンから船で2時間かかる島で、監督をしている。店が数軒と、ピザ・レストランとパブが1つずつある。コーチ養成課程で会ったオランダ人のマーク・デ・ヴリース(元ハーツ、レスターのFW)が助監督になり、2人でルームシェアをしている。黒かった髪は灰色になった。成績は対して良くないが、情熱は消えていないようだ。

www.nordlysid.fo

“We get about 600 at games, but that’s more than ten per cent of the island’s population.

“I view this as a major part of my development as a coach. I believe coaching is in my DNA.

“The road I’m on may be a bit windier than the one others take, but that doesn’t bother me.

出所:Former Rangers defender Maurice Ross insists managing TB-FCS-Royn in the Faroe Islands will make good reading on his coaching CV – The Scottish Sun

 

 

 

 

 

参考記事

www.scotsman.com

www.thescottishsun.co.uk

www.thescottishsun.co.uk

90 Minute Cynic / Across the North Sea Interview: Maurice Ross

www.kocaelisporblog.com