Moneyの先に

ぇ、優勝した(ワラ

 

 高校の同級生の女っぽく始めてみましたが、いかがでしょうか。なんだか、我慢してたのに漏らしちゃいましたみたいなまんゆの敗戦で、4年ぶりの優勝。宜しいことだ。クリスマスの時点で決まってた、とライバルチームのファンが漏らすほど()、少なくとも数値的には圧倒的な勝利であったことは確かである。おそらく数週間前から用意してあったのだろう、優勝決定後即座にBBCやGuardianで「なぜ強いのか」「何が変わったのか」という記事が溢れ始めた。The Timesに至ってはファンクラブの会報かと見紛うばかりの論調である。こっちが心配になるくらいだ。

www.theguardian.com

www.theguardian.com

www.thetimes.co.uk

 

 こうした記事にどのような反応がつくのか。

f:id:sakekovic_14:20180419225431p:plain

f:id:sakekovic_14:20180419225442p:plain

 はい。Money Talks. They have money. Money, Money, Moneyである。金にものを言わせただけだ、あれだけ金を使えば勝って当然だ。すごいのになると、「どんな監督だって、あれだけの戦力があればこの成績は収められる」というのもある。まあ、普通に褒めてるコメントも多々あるけども。ていうか、今あらためて探したら結構そうだったわ。ごめん。まあ気を取り直して続けると、インターネットで口論しない主義の私とは言え、自分が好きなクラブの偉業がこの扱いでは、いい気持ちがしないのも確かだ。ただ私が気になるのは、「最終的に何が言いたいのか?」ということである。

 

 

 

 

 まずもって、こうしたコメントを書き込む諸兄は、本当に「これだけ金を使えば誰だって勝てる」と思っているのだろうか。まあ本当に思っているかどうかは結局判らないが、我々は知っている。

 

そんなわけないじゃん。

 

 いや、ほんとに。例えばポール・ハートとか、ナイジェル・ブラウンとか、なんだったらマーク・ヒューズだって良いが、彼らに同じ額の資金を与えたとして、同じ成績が、等しく圧倒的な-いくつかの例外たる試合は除いて-内容で成し遂げられるだろうか。いやー、無理でしょう。クロップとかならいざ知らずよ。大体、ペレグリーニだってそれなりの金をかけてもらっていたけど、1試合だって今年のこんな感じはなかったですからね。相手がめちゃめちゃやる気ないニューカッスルでない限り。

https://media.gettyimages.com/photos/manager-manuel-pellegrini-of-manchester-city-watches-from-the-during-picture-id494200868

 また、「グアルディオラはもともと強いチームでしか成功できない」という話も、同様に気にしないでおける話だ。”ただ出来るということを示すためだけに風呂掃除をする”義理はグアルディオラにはないし、そもそも私とて、グアルディオラ個人のファンならまだしも、マンチェスター・シティのファンなのだから、もうどうしようもない。グアルディオラが来ようが来るまいが、シティは金を使ってしまうのだから。「弱いチームで実力を試すべきだ」という話は、シティを辞めたあとでなんぼでもやってくれたら良いと思う。ジェフとか。

 知りたいのは、「シティは何がすごいのか」という問いに対し、「金持ってるだけだ」と書き込むとき、その先になにがあるのかである。「金持ってるだけだ」。OK、つまり・・・?。要するに、「金持ってるだけだ(から、この勝利は何らマンチェスター・シティというクラブの関係者、すなわち経営陣、スタッフ、コーチ陣、選手その他の努力に帰するところはないのであって、すなわち何一つとして誇るべきものではないのだから、そんなに褒めたり喜んだりするな。だって、気まぐれでシティを選んだオーナーが金を出しただけなんだから)」という趣旨だと理解して良いのだろうか。あるいは「金持ってるだけだ(、つまり誰がやろうが、これだけの金を出せば勝てるわけで、それはつまりピッチ内外のサッカー的努力と勤勉によって勝ち取られるべき勝利が、単にアブダビの富豪によって選ばれたという多分に運の要素で決まってしまっており、すなわちプロサッカーとして否定されるべき現象であるからして、シティの優勝には価値がない)」ということなのであろうか。いやん、大胆。要するに、結論を言ってほしいわけよ。Moneyの先にあるものを。結論が示されれば、私とてその話はどっちかっつーとリーグに言って下さいとか、そこに無ければ無いですねとか、もう少し生産的な対応が出来るというものだ。

 と、若干茶化してはみたものの、結論としては、多かれ少なかれ上記のような心持ちがあり、とは言え結論まで言い切るほどの大した話でもない、というところではないだろうか。気持ちはわかる。そう。わかるのだ。

 

 

 

 自転車ロードレースの世界に、スカイというチームがある。スカパーにその名が残る、放送局のスカイがスポンサーしているチームである。強いんだまたこれが。ロードレース界最大のイベントといえばなんと言ってもツール・ド・フランスだが、これを目下3連覇中。しかも、その勝ち方がえぐい。

https://media.gettyimages.com/photos/ian-stannard-of-great-britain-riding-for-sky-procycling-drives-the-picture-id173951742

 ロードレースというのは「8人のアシストが風除けとなり、手足となって働いて、1人のエースを勝たせる」という多少分かりづらい競技なのだが、まあ要するに風速50mの向かい風でやってるマラソンだと思ってほしい。1人で走るとゴリゴリと体力が削られるため、残りの8人が風除けとならなければ、いかに強い選手だろうと絶対に勝てないという競技である。すなわち、エースが強いということもさることながら、どれだけ強いチームメイトを集められるかも重要だということだ。それでスカイだが、ここ3年のツール・ド・フランスはいつも同じ風景である。すなわち、勝負の分かれ目になる山岳地帯に差し掛かると、ライバルチームのエースが1人ずつ、あとスカイが5人くらい。スカイが強すぎて、他のチームのアシストが全員限界に達して遅れてもスカイのアシストはまだ4,5人残っているのだ。何ならそこらのチームのエースよりスカイのアシストのほうが強いくらいだ。これだけでも先の展開が読めてしまいそうな状況だが、ここから先は目を覆わんばかりである。耐えかねたあるチームのエースがちょっとペースを上げる。するとスカイのアシストが一人彼を追い、ぴったりと背中に張り付く。先行した彼からすれば、楽勝でついてこられた上に、風除けに使われているという精神的な苦痛に襲われる。山岳では風圧は弱まるとは言え。しかも追ってきたアシストを風除けに使いながら、スカイのエースは悠々と彼に追いつく。以下繰り返しである。そして他チームのエースがあらたか消耗したところで、スカイのエースが満を持してフルアクセル。でまた、3連覇するくらいだから、このスカイのエースが弱いわけがないんだよな。かくしてここ2年のツール・ド・フランスは、正直言って私には退屈なことこの上ない。

 何が問題かと言うと、スカイは自転車チームの中で群を抜いて資金力がある(と思われている)のだ。実は2位のチームとそんなに差はないのだが、年間予算が一番大きいことは確かだし、とにかくスカイには金持ちというイメージがある。シティほどじゃないけど。補強もする。かくして、スカイは私だけでなく、直近の薬物疑惑を置いておいても、世界中で結構な顰蹙を買っている。もう端的に言って、つまらんのである。隙がなさすぎ。そんな単純なことではないのが十分わかっているが、その勝利の裏には血の滲むような努力と勤勉があるのは理解しているが、それでもスカイが他チームを叩き潰すとき、私は「はいはい」という感情を認めざるを得ない。いつだったか、Twitterでスカイファンの一人がこうつぶやいていたのを見た。「昨日は山岳であんなに圧倒的な力で勝ち、今日は下り坂で勇敢にアタックして勝利。スカイを叩く人は一体どうしたら納得するんですかね?」。いや、勝てば勝つほどそうなんだってば。理論的には。

 あるいはもっと身近な、読売巨人軍でも良い。私の友人に巨人ファンがいるが、数年前に「今年はやばい、なにせ杉内とホールトンに、村田も獲ったから」と言ってきたときは、私の人生で最大の「ああそうかい」を返したことを覚えている。

https://media.gettyimages.com/photos/chris-froome-of-great-britain-riding-for-team-sky-is-presented-with-picture-id547307970

 しかるに、シティが叩かれるのも、まあ理解はできる。10年前まで大して強くもなく、多くのサッカーファンにとっては強かった時代も記憶に無いチームが、アラブの大富豪が来たおかげで強くなってるわけだから。いかにこのチームが戦術の遂行力に優れているかとか、エキサイティングな試合をするとか、あるいはアンカーのポジションには替えがいないから補強が必要だとか、専門誌やニュースサイトがこぞって強さの理由は何かとか真面目くさって言えば言うほど頭にくるのも道理であろう。私だってスカイの卓越性を解説する記事ばっかりネットに上がっているように見えたら、どうぞ勝手にやっててくださいという気持ちを持たなくもない。我が内なるポジショナルプレーである。

 

 

 

 

 では私はどうすべきか。いやまあ、別にどうにかすべきことな訳でもないが。ニューカッスルやバーンリーとの共同作業で「サッカーの不気味の谷」を作り出し、「金で買った勝利(なのだからそんなにはしゃぐな)」と叩かれる、我がクラブを巡るナラティブをどう受け止めるべきなのか。

www.theguardian.com

 まずもって、私は無力である。私はシティの勝敗に、あるいはピッチ上のパフォーマンスに、毛虫ほどの影響力も持たない。私が2006年のシティの弱さをどうにも出来なかったのと同じくらい、私は2018年のシティの強さをどうにもしようがない。仮に私がどれほど恥じたところで、このチームは強かったし、多分来年もそこそこ勝つ。そしてまた、他チームの、あるいは特に応援するチームを持たないサッカーファンの感情をどうすることも、同じく私にはできない。する気はないが、いかに理論武装してTwitterやブログで反論しても、洪水に藁を投げるが如しである。

 そして、「とくに強いキャラクターもないが、どちらかと言えばうっすらヒール」という、世界中、少なくとも英語圏と日本語圏のサッカーファンにおけるシティのイメージについても、短期的に変わることはなさそうである。こういうキャラ付けが消えるというのは、同じ方向でもっとえげつない奴が出てきたときと相場は決まっている。12,3年前に金満といえばチェルシーだったが、今やその方向性でからかいの対象となることがほとんどない原因は、クラブの移籍市場政策の転換もさることながら、何をおいてもシティとパリの台頭であろう。2003年以前のチェルシーも結構強かった、ということを覚えている人間はもう地球上にほとんど居ないし。ところがFFPが導入されて以来、この手の成り上がりが登場する可能性は殆どなくなってしまった。

https://media.gettyimages.com/photos/chelsea-captain-john-terry-and-manager-claudio-ranieri-celebrate-by-picture-id2369926

 よって結論を言えば、私に出来ることはなにもない。単に耐えるしかない。いつかこういう扱いがなくなったら良いなと思わなくもないが、遠い夢の話だろう。いずれにせよ、勝とうが負けようがシティは叩かれるのだ。だったら、まだ勝っていたほうがましというもの。はしゃぎすぎないようにはするとして。Moneyの先にあるのは、単に週末を楽しみに待つこと以上の何ものでもないのだ。

 

 

 

 

 

 前置きが長くなった。本題に入ろう。永井洋一っつぁんがハリル解任に対して存外まともな文章を書くのだから、万が一、万が一として、コージーに聞いてみたら、誰もが納得する素晴らしい日本サッカー界への提言が出てくるのではないかという件についてだが・・・