CFGが目指す世界支配(1/3) Guardianの記事訳
(The Guardianの記事が面白かったので翻訳した)
サッカーはすでに巨額の金によって変貌を遂げてきた。しかし、マンチェスター・シティの背後にいるビジネスマンは、業界を永久に変えるグローバルな企業体を構築しようとしている。(By Giles Tremlit)
2009年12月19日、ペップ・グアルディオラは、アブダビはザーイド・スポーツ・シティ・スタジアムの真ん中で立ち尽くし、涙を流していた。(中略)世界で最も著名な監督がこんな風に取り乱すとは奇妙なことだが、それというのもこの日の勝利が、1つのクラブが1年で手にしうる6つ全てのタイトルのうち、最後の1つを確定させるものだったからである。
一方、フェラン・ソリアーノにとっては残念な瞬間だった。ソリアーノはヘアドレッサーの息子で、バルセロナの労働者階級が多い地区で育った。FCバルセロナの経営幹部の1人となり、バルサが”史上最高のサッカーチーム”と呼ばれるようになる過程に、多大な貢献を果たしてきた。「幸せだったが、チームが頂点に達した瞬間に立ち会えなかったのは辛かった」とソリアーノは語った。代わりに、彼はグアルディオラに電話した。
ソリアーノは2008年までの5年間、バルサの財務を管轄してきた。また、彼が発展させてきた構想は、近年のバルサの栄光に大きく貢献してきた。ソリアーノが2003年の会長選挙でアメリカ式の選挙キャンペーンを持ち込み、向こう見ずでビシっと決まったスーツの若いビジネスマンたちをクラブの要職に付けて以来のことだ。彼は『ゴールは偶然の産物ではない』という本まで書いたが、その中で「バルサの成功と栄光は、的確かつクリエイティブな経営の結果だ」と主張している。悪意ある政治的内紛によって、彼は6冠達成の前年にバルサを追われていたが、その前から、「他国でフランチャイズクラブを設立する」という彼の野心的なアイディアはバルサ内部で妨害にあっていた。クラブ運営の議決権を持つ14.3万人のファンを持ち、バルセロナの街とカタルーニャに深く根を下ろしたクラブにとっては、余りにも突飛な計画だったのだ。
しかし、ソリアーノの壮大な構想は、グアルディオラが号泣したアブダビの夜を注視していた2人の男によって、息を吹き返した。片方はアブダビ王家の1人、マンスール・ビン・ザイード・アール=ナヒヤーン。もう片方は、若き要人にして王家のアドバイザーであるハルドゥーン・アル=ムバラクである。彼らの支援を得て、ソリアーノは今、世界初の真の多国籍企業体、いわばサッカー版コカ・コーラを作り上げることで、サッカー界の既存秩序をひっくり返そうとしている。
その企業体が、シティ・フットボール・グループ(CFG)だ。CFGはすでに4大陸に6つのクラブを所有、あるいは共同所有しており、240人の男子サッカー選手と20数人の女子サッカー選手と契約している。そして、慎重に選別された100人以上の育成年代の選手が、大志を抱き、下部組織でプレイしている。長期的な野心は壮大である。CFGは世界中で優れた選手を探し回り、最先端のアカデミーと育成施設で彼らを磨き上げ、10を超える国のクラブ(CFGが既に持っているか、今後取り込むもの)の中で、最良と思われるものに売るか、送り出す。護送兼供給船団に守られた、この新たなサッカー艦隊の旗艦がマンチェスター・シティである。シティの役割は、これまでも目覚ましい成果を上げてきた、世界一のクラブを目指すという取り組みを続けていくことだ。
これがソリアーノの構想、あるいは少なくとも、複雑な計画の簡易版である。CFGは設立されてたった4年だが、短期間で、世界で最も人気のあるスポーツにおける最大勢力の1つになった。CFGがサッカー版のGoogleやFacebookになりうるのではないかと考える人々から、畏怖をや嫉妬、恐怖を向けられているというわけだ。
トップ選手に2億ポンドの値が付き、数億人が試合を観戦し、世界有数の金持ちがクラブを保有する時代において、優位を得るための出費が惜しまれることはない。昔々、違いを生み出すためには、お金だけで十分だった(賢く使われさえすれば)。しかし、もはやそれだけでは足りない。一つには、サッカー業界に金が溢れるようになったからだ。
シティが2012年にリーグ優勝したとき、マンスールは「10億ポンドでタイトルを買った」と広く批判された。10億ポンドとは、その前に4年間に彼がシティにつぎ込んだ金額だ。(中略)しかし、それはある時代の終わりでもあった。欧州サッカー界の規制機関であるUEFAは、クラブが自分たちで稼いだ以上に資金を費やすことができないよう、新たなルールを制定した。否定派は、マンスールを道楽者の戯れと批判する。今日でさえ、彼の「個人的な」(シティの)所有が、アブダビのソフトパワーの道具として使われているのではないかという疑念を呈するものもいる。しかし、彼の声明(滅多にない)は、彼がシティを純粋かつ長期的な投資として買収し、資金を投入してきたことを明らかにしている。というのも、「ビジネス的に言えば、プレミアリーグは世界最高のエンタテインメント商品の1つ」だからだ。
ソリアーノの野心はその倍だった。彼はサッカーとビジネス両方で勝とうと考えていた。しかし、UEFAが資金投下にブレーキをかけたため、目標達成ははるかに難しくなりそうだた。ソリアーノには、新しい何かが必要だった。シティは、金を失うことなく勝てるのか?
実際のところ、ソリアーノを筆頭とする若くて賢いビジネスマンの一味がバルセロナの経営に就いたとき、バルサは赤字クラブだった。財務部門のトップとして、ソリアーノは「多額の投資、タイトル、増収」という好循環をもたらすことに貢献した。(中略)しかしソリアーノは、バルサを単なる都市のクラブよりはるかに大きな存在として見ていた。グローバルのサッカービジネス自体が、新たな時代を迎えようとしていることに気づいていたのだ。2006年にロンドンで行った講演で、ソリアーノは初期の頃の構想についてプレゼンしている。すなわち、世界中でファンベースが凄まじい勢いで拡大しているために、ビッグクラブは「サーカスのような、地元のイベントのプロモーター兼オーガナイザー」から、「ウォルト・ディズニーのようなグローバルエンタテインメント企業に変貌しつつある」。もしビッグクラブが「拡大と、グローバルなフランチャイズとなるチャンス」を掴むことができれば、ライバルに圧倒的な差をつけた、新たな支配的エリートとなるだろうというのだ。
実はその頃、ソリアーノはイングランドのサッカーが古いモデルに捕らわれていることに失望していた。ヴェンゲルやファーガソンはまるで自分がクラブを所有しているようだったし、ビジネスモデルの概念化は皆無に等しい状況だった。そもそも言葉の使い方からしてそうなのだ。「イングランド人は監督(Coach)を“Manager”と呼ぶが、まるで監督がクラブのすべてをManageしているみたいじゃないか」とソリアーノは回想する。(中略)バルサを去った後、彼はスパンエアーのチェアマンに就任していたが、ピッチ内外両方での優位性を探し求めていたマンスールによって、NYの弁護士であるマーティ・エデルマンとの邂逅を迎えることになる。
エデルマンはマンスールに雇われ、ごく初期からハルドゥーン・アル=ムバラクとともに働いてきた。不動産のエキスパートであるエデルマンは、以前からアブダビの信頼厚いアドバイザーであり、このアメリカ人の登用は、シティの新たなコスモポリタニズムの表れだったと言えよう。当初、ソリアーノはシティの成長を一笑に付していた。ライバルであるマンチェスター・ユナイテッドと付き合っていたし、「ステレオタイプな富豪オーナー」を信頼していなかった。本の中で、シティを「非合理的な投資によって野放図なインフレを引き起こしている」クラブの1つとして挙げていたほどだ。だが、両者は徐々に共通する価値観を見つけていった。中心にあったのは、野心-現状に挑戦する意欲であった。
(中略)そして、シティは「バルセロナ級のクラブに成長する」という長期計画へのマンスールのコミットメントを示すことでソリアーノを説得し、ソリアーノは多額の投資、イマジネーション、そして冷静さを必要とする先駆的な計画をピッチした。両者は、シティは世界最高のクラブを目指していくべきだということに同意した。長きに渡って、バルサやレアル・マドリー、マンチェスター・ユナイテッドによって占められていた地位だ。「それも世界の2位や3位じゃない。ナンバーワンだ。」とソリアーノは語った。
世界一のクラブにあるという構想は、虚栄やビジネス的強がりではない。ソリアーノははるか以前から、少数のエリートクラブが新たに拓かれたグローバル市場を獲得するだろうと考えていたが、彼は「はるかに大きなもの」を構築しようとしていた。ソリアーノの指摘では、サッカークラブは巨大なブランドだが、ビジネスとしてはバカバカしいくらい小さい。5億人のファンを持つクラブでも、収入は5億ポンド程度。ファン1人当たり1ポンドしか稼げていないのだ。まったくバカげてる、と彼は言う。ビジネス用語で言えば、これは「愛情(消費)溢れる人々と、愛情ゼロの人々の組み合わせ」だ。なぜなら、(例えば)インドネシアにいるファンは、応援するクラブに1銭たりとも使ってはいないからである。「じゃあどうする?答えは単純だ。単純すぎるかもしれない。しかし、実行には勇気を要する。グローバルでありながら、同時にローカルでもいなければならない。インドネシアに行って店を開くんだ」。ソリアーノの構想はこうだ。グローバルブランド(マンチェスター・シティ)と多数のローカルブランド、両方を持つ。クラブ間のネットワークを通して才能ある選手を育成する。同時にそれは、シティへの選手供給源にもなる。突拍子もないアイディアに聞こえることは、彼も理解していた。「もしこの構想をレアル・マドリーに提案していたら、『頭おかしいんじゃないの』って言われただろう。バルサでは実際そうだった」。
だが、シティはすでに革命のさなかにあり、その先に進む準備もできていた。エデルマンにとって、ソリアーノの構想は、マンスールの巨額投資で作られた骨格を肉付けするものだった。「偉大な構想には必ずホスト役が必要だ。我々は理想のホスト役だった。フェランの構想だけ盗んで、ゼロから始めようったってうまくいかない。彼の構想は、マンスールのもともとのビジョン-ただのオールスターチームを作るのではなく、未来への枠組みを作る-を実現し、強化するものだった」とエデルマンは言う。
ソリアーノは2012年9月1日から、シティのCEOとして働き始めた。2日後には、新クラブ設立のためにNYにいた。MLSに1億ドルを支払い、ゼロから新たなクラブを作るのだ。ローカルパートナーを探した結果、エデルマンはソリアーノを、ヤンキースのオーナーであるハンクとハル・スタインブレナー兄弟に引き合わせた。ハンクはサッカーファンで、大学でもプレイしていたし、高校の部活でコーチもやっていた。15秒で合意したというから、エデルマンが成立させた中でも、最速のディールの1つだった。ヤンキースは株式の20%を得て、臨時のホームとしてヤンキースタジアムを貸し出すことに合意した。ニューヨーク・シティFCと名付けられた新クラブは2015年からリーグに参加し、今やForbesから(企業価値を)2億5百万ポンドと評価されるに至った。ファンからは「NYCFC」あるいは「ニューヨーク・シティ」と呼ばれている―マーケターにとっては夢のようだ。「我々のブランドは理想的だ。なぜなら、ブランドネームは『シティ』だから、どんな都市名にも『シティ』と付けられる」と、洗剤のマーケターとしてキャリアを始めたソリアーノは考えている。