ワールドカップについて
2018/5/31 2018年の新語法
昨日の試合をやって選手も監督もみんな本番が楽しみでしょうがないと思うし自信も付いたと思う。しかも全く期待されてないので見返してやろうという力も働く。とてもいい感じの流れだ
— meu (@meumeu69) May 31, 2018
あー久しぶりに見ていて面白い日本代表の試合だった
— meu (@meumeu69) May 30, 2018
もし我々が皆、昨日の試合から上記のような感想を得ることができるとしたら、我々の人生は極めて幸福になることは疑いなく、しかるに我々は皆、彼(彼女)のようになるべきなのだ。
2018/6/3
「国立!ごもっとも商業サッカー部!!」というタイトルを思いついたが、どこで言っていいやら。
2018/6/4
あれはトップ下というか、「5番 指名打者 本田」って感じ。
2018/6/10
普段一緒に練習しているメンバーじゃないから、とか諸々理由があることはわかるが、日本代表、端的に言って議論好きすぎではないか。ザックの頃からそう思っていたが。下手なホワイトカラーの研修よりグループディスカッションしている。
という中で(西野監督話法)、私はこのコラムを思い出す。
マクマナマンが僕に語ったところでは、セードルフの唯一の問題は黙っていられないことだ。レアルのコーチが練習で何かを説明すると、セードルフは前に出て、こう言う。「そんなふうにやるより、こうしよう。で、それから僕にボールを回して」。スペイン人は彼を「エル・プレジデンテ(大統領)」と呼んだ。
フットボールの世界には、監督を頂点にした厳しい上下関係が存在する。ちょうど19世紀のプロイセンの軍隊のようなものだ。ところがセードルフは、フットボールを自己啓発のためのディスカッショングループのようなものと考えていた。
レアル・マドリードでの試合のハーフタイムに、セードルフは監督のファビオ・カペッロに向かって戦術を解説したことがある。カペッロはジャケットを脱ぐと、いきなりセードルフに投げつけて叫んだ。「そんなにわかっているなら、おまえが監督をやれ!」。セードルフの代理人でさえ、こう助言した。「車を乗りこなすだけでもむずかしいんだから、車になろうとしてはだめだ」
オランダ代表には18歳のときから入っていたが、彼はほとんど国中を敵に回していた。問題のひとつが「ジダン・コンプレックス」だった。セードルフは長いこと、古典的な司令塔タイプの選手になりたがっていた。
オランダ代表の監督は、たいてい彼を中盤の右で使った。しかし人格的に成長したいセードルフは、いつも「10番」のポジションに入ってきた。相手選手をいとも簡単に振り切り、そのくせ疲れた素振りも見せないから、真面目にプレイしていないように見えることさえあった。退屈な抽象論をとうとうと話したがる癖もオランダ人に嫌われた。他の選手が獲得したPKを蹴って失敗したり、黒人選手のスポークスマンのように振る舞ったことも不評だった。
ミラン・ラボのスポーツ心理学者ブルーノ・デ・ミケリスは、セードルフの言葉をさまざまな側面から分析した。すると、セードルフは人をいら立たせることも多いが、彼の発言は周りを助けようとしているという結論に達した。「彼の発言は選手としてのものが10%。70%は監督、残りの20%はGMのようだ」と、デ・ミケリスは言った。彼はミランの選手やコーチたちに、セードルフには自由に発言させるよう頼んだ。